蒼玄悠元ナビの最終回として、私が在寮した当時の寮の職員さんをご紹介します。

そして寮生(とOB・OG)が企画した、職員さんのお祝いや送別会、学生寮がなくなった年に最後に皆で集まった「さよなら蒼玄寮悠元寮」をご紹介いたします。

寮の職員さん

事務室

事務室には、事務員の浅野さんが務められていました。

本来のお仕事は来客、電話、荷物の取次、郵便の仕訳なのですが、寄宿料の受け取りや寮食堂の食券販売など委員会の仕事も引き受けてらっしゃいました。

事務室にはインターホンの親機がありました。子機は各ブロックの廊下にあり、ボタンを押してブロックを選択したあとに、送話/受話の切り替えボタンを操作して各ブロックと対話ができました。

電話があると、浅野さんはインターホンを使い「〇〇号室、〇〇さん」と呼びます。居室にいる寮生は、廊下のインターホンの子機に届くよう大きな声で「ハーイ」と返事をします。本人不在の場合は、同部屋の人が「いませーん」と返事をします。

返事があると浅野さんは「お電話です」と返すので、寮生は居室から走って、廊下のインターホンの下にある電話の子機を取ります。すると浅野さんは、事務室にある交換機を操作し、その子機に回線をつなげてくださいます。

土日祝日はブロック持ち回りで、寮生がこの電話番を行いました。ちなみに電話回線は蒼玄寮悠元寮共通の2本のみで、二人が会話するとそれ以上繋がりません。携帯電話やLINEで通話できる今からすると、300人で2回線のみなんて考えられないでしょうけど。

 

浅野さんの放送は電話や荷物のときだけでなく、浦和花火の日には「本日は浦和の花火大会です。屋上に上がって花火を楽しみましょう。」とお知らせくださいました。

「娯楽室が火事です。寮生の方は消火を手伝ってください」という放送があったこともあります。

寮生の健康にも気遣ってくださったり、怪しい人は寮生に取り次がないよう、窓口で堤防の役をしてくださったりもしていました。

緑の旗1988年5月30日号

緑の旗1988年5月30日号より、「事務室の浅野さんにスポット」の記事

用務員さんとボイラーマンさん

用務員さんとして堀江さん、佐藤さんが廊下の掃除をして下さっていました。北棟の東側の住人の幾らかは、玄関でなく非常階段から土足で出入りしており、北棟担当の堀江さんにはご迷惑をかけていました。

ボイラー室には高橋さんがおられ、風呂のお湯を沸かしてくださっていました。

厨房

食堂の奥の厨房には、栄養士の衛藤さん、調理師の田中さん、そしてパートの小山田さん、西田さん、河野さん、相原さん、大関さん、友光さんが務めておられ、我々に寮食を提供してくださいました。

時々両寮委員会が「厨房交流会」を企画し、厨房のみなさんと飲む機会がありました。

厨房交流会では、厨房の奥の居間に置いてある8トラのカラオケが持ち出され、カラオケ大会になることもありました。そしてなぜか厨房交流会の翌朝は、田中さんも含めた野球でした。

「8トラ」とは、オーディオ・カセット・テープとその再生機なのですが、テープには並行して8トラックの領域があります。ステレオなので4チャネル、4曲が平行して入っています。歌う時には、その曲が入っているチャネル1から4を選択します。テープの長さは一曲分しかありませんので、歌った後に一番最初に巻き戻しておけば、どの曲もすぐ再生することができます。

 

田中さんは、大忘年会会長であったり、普通のコンパにもいらっしゃることがあったりと、特に蒼玄寮生と交流があったことはこれまで書いた通りです。田中さんとその後輩の方(試験センターの職員さん)が厨房の奥の居間で呑んでいるときに、私も同席させて頂いた思い出があります。

 

衛藤さんはお話し好きな方で、厨房と食堂の間のカウンター越しによく寮生とお話しされていました。ごちそうさまでしたの「寮食堂の思い出」より引用します。

「このスパゲティのミートボールはね、全部手作りなのよ。たーいへんなのよぉ!」パック牛乳を飲みながら,そうなのかぁーと衛藤さんの言葉をうなずきながら聞いていたこと等々。

委員会の人はよく食堂の買い出しを手伝っていました。同じく「寮食にまつわる思い出」より引用します。

いつもの元気な衛藤さんの声。「今日、マルエツでヨーグルトが安いのよ。買ってきてくれない?」普通なんでもないんだけど、そこはさすが寮食堂。必要な量がビヒダスヨーグルト50個!いざ、チャリンコに乗ってマルエツへ。とりあえずヨーグルトを探し、買い物かごに入れる入れる・・・。あっという間にほぼ完売ですわ。自転車のかごにはもちろん入りきらず、片手に買い物袋をぶら下げてのチャリ運転。

田中さん勤続30周年記念式典

私の在寮中に厨房の田中さんが勤続30周年を迎えたということで盛大なお祝いが食堂にて開かれました。

このような会には現役寮生もOB・OGも集まります。ロビーにある畳を敷くだけでは足りません。娯楽室2,3の畳もはがして食堂に並べました。

ご存知かと思いますが、畳は部屋に敷くときにその大きさは個別に調整されています。ですので、はがした後に適当に敷くと、部屋に収まらなくなります。もう畳の位置関係は失われており、試行錯誤しつつ押し込むので、娯楽室2,3には常に畳の隙間が結構ありました。

企画については、ごちそうさまでしたの「卒寮生の皆様へ」より引用します。

 卒寮生でもある、大先輩 千葉さん、相澤さんの協力や、在寮生の方々(先輩、同期、後輩)のパワーを実感することができた大事な大事な思い出の一つです。「屋上からの写真撮影」「大喜利」「厚生課バンザイツアー」「大感謝状贈呈式」などなど、多くの思い出があります。

 「厚生課バンザイツアー」では、手製のみこしを担いで、大学構内を駆け抜け、厚生課の方々の前で「バンザイ3唱」を大声で張り上げた企画で、あとで厚生課長や荒井さんに事後説明を行ったりしたのも大事な思い出です。

厚生課バンザイツアー」は動画も掲載しております。恐らく現在はもうまねできない面白さだと思いますので、ぜひご覧ください。

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卒寮ビデオ」、1993 田中さん勤続30周年より、記念品の一つ、似顔絵・寄せ書き入り割烹着、大感謝状贈呈、記念撮影。
 

職員さんの送別会も含めたこのような企画の始まりは、「ごちそうさまでした」の「臨時イベントの思い出と寮食堂の役割」に記されています。

寮生と職員さんの関係

寮生と職員さん、特に浅野さん、田中さん、衛藤さんとの関係を語るのは簡単なことではありません。

ごちそうさまでした」の『寮食』から引用します。

忘れられない姿がある。あれは田中さんの勤続30年の記念式典のときだ。それは、出席した人は覚えていると思うのだが、食堂を全面使い切った会場設定で卒寮生も数多く出席し、当時の卒寮式並かそれ以上に盛大に行われ、私は予想を超えた内容に心底驚いた。記念品としては、通勤のための新車(もちろん自転車)と、田中さんの似顔絵をプリントし、そのまわりに皆で寄せ書きをした白衣が贈られた。その式典で、田中さんは泣いた。「たかが一介の職員に…」そう呟いたのが聞こえた。

 「たかが」ではない。「一介の」ではないのだ。そういうにはあまりに深く、寮生と関わりを持ってくれた。そうでなければどうしてこれだけの人間が動くのか。

 

寮生が寮にいるのは学生の期間だけ。4年+α(院に進学した人は6年か9年)経ったら寮を出ていきます。新しい人も毎年入ってきます。学寮はまるで川の流れの一部分のようです

職員さんはその川のほとりに立って、何十年か川を見守られてきました。

卒業して川を流れていったOB・OGもたまには戻ってきて、この川のほとりで職員さんとお話ししたり、今の川を眺めたりもしました。

今になって考えてみると、職員さんが同窓生の核であり、またそれが、当同窓会が他一般の同窓会とは色が違うことの要因でもあるのかなと、思います。

職員さんの送別会

私が卒業した後にも職員さんの送別会は開かれました。

浅野さん卒寮祝賀会

1996年3月に事務室の浅野さんが退職されるということで、食堂で盛大に開催されました。

そのときの写真は「浅野さん卒寮祝賀会 – 1996年」に掲載しています。一般公開可能な写真は多くありませんので、同窓生でない方は「浅野さん卒寮祝賀会ダイジェスト」をご覧ください。

この時も、現役寮生のみならず大勢のOB・OGが集まりました。

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浅野さん卒寮祝賀会 – 1996年」から、浅野さんご挨拶、大感謝状贈呈、記念撮影です。

このときは、浅野さんが最後に悠元寮に泊まりたい、ということで、みなで悠元寮に向かってお見送りしたのが印象深かったです。

 

卒寮式編」の最後のほうに書きましたが、1998年を境に寮の行事は縮小します。同窓会で繋がっているのもこの1996年の世代が最後であったりします。

厨房の皆様の卒寮式

2003年に厨房の田中さんが退職を迎え、寮食堂も廃止されることになりました。(その経緯はわかりません。)

現役寮生は送別会を企画しており、それを知らないOB・OGの側でも「そろそろ田中さんが定年を迎えられるはず、何とかしないとね」という空気が生まれていました。

たまたま卒業後に知り合った寮生が2002年度にも在寮しており、送別会実行委員会の会議に参加しているということで、OB・OGは現役寮生と繋がることができました。

現役寮生とOB・OGとの共同企画で開催されたのが「厨房の皆様の卒寮式」です。

この時OB・OG向けに「インターネット情宣」を始めました。掲示した「ご案内」から「お礼」までが、そのままリンク先に掲載してあります。

 

この時に「卒寮」されたのは、厨房の田中さん、衛藤さん、小山田さん、西田さん、河野さん、本田さん、友光さん。

先ずは夕方「卒寮式」から行われました。形式は寮生の卒寮式と同様、関係者の祝辞、卒業される皆様のご挨拶、寮歌斉唱、です。

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卒寮式・送別会写真展ー卒寮式」より、実行委員長祝辞、蒼玄寮委員長祝辞、記念撮影。

準備の時間をおいて、夜に送別会が開かれました。この時になるとOB・OGも大分集まり、予想通り寮食堂には入り切らなくなりました。

送別会では、このサイトのもとになった「寮史」が作成・掲示されました。また主賓である厨房の方々に、OB・OGの思い出のメニューであるカレーとスコッチエッグを作って頂いておいて、それを集まった皆で頂いたりしました。

人気ナンバーワンのスコッチエッグの作り方はこちら。

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送別会:卒寮式・送別会写真展」より、張り出された「寮史」、鏡割り、カウンターよりスコッチエッグ登場。

そしてこの送別会の最後に当同窓会の設立が宣言されました。

ごちそうさまでした

厨房の皆様の卒寮式に際しては、文集「ごちそうさまでした」が作成され、参加者と寮生全員に配布されました。このサイトにはほぼ全文を掲載しています。

「寮生達より調理員の方々へ」第一部 現役編第二部 OB・OG編には、現役寮生とOB・OGの、厨房の皆様への感謝の言葉が綴られています。

寮生、OB・OGからの寄稿」には、これまで引用してきましたように、感謝と同時に寮食堂で行われたことの歴史が綴られています。

これらの感謝の言葉を、卒寮される厨房の皆様にお届けすることができました。

さよなら蒼玄寮悠元寮

2010年3月に蒼玄寮悠元寮は廃止され、改修の後に大学管理の寄宿舎になることになりました。その経緯はやはりわかりませんが、私の在寮中より、寮の建物が老朽化し、建て替えになるときは「新規格寮」(個室の大学管理寮)になる、と懸念されていました。結果は建て替えではなく改修になりましたが…。

先に書きましたように1996年より後の寮生とは繋がっていないものでしたから、寮がなくなるのを察知できたのも縁があってのものでした。

現役寮生との繋がり

2007年か8年でしょうか、地元に戻っていたOBの一人が上京し、同期会が開かれました。翌日「懐かしいから寮を見に行くか」となって、数人で寮に行きました。

そこでOB・OGが話かけたのがとある4年生。彼の卒論のテーマが寮自治、ということで、OB・OGとも積極的に話したようです。

その時の繋がりより、彼から2009年度末までに一斉退寮の後改修、大学管理寮化という情報を得、同窓会は最後の集まりに向けて動くことができました。

学生部との打ち合わせ

2009年度の在寮生は各自都合の良いときに退寮していっており、最後に会を開こう、とはしていない模様でした。なので最後に寮に集まる会は同窓会のみの企画になりました。

同窓会事務局長が何度も学生部に行って学寮担当の方と打ち合わせし、2010年4月3日の何時から何時までならいいよ、と言うことになりました。

でも(現役寮生が片付けるはずの)寮内のゴミも拾ってちょうだい、と。(結果はOB・OGでも拾いきれず…)

さよなら蒼玄寮悠元寮当日

そんなこんなで、同窓会会員に連絡して「さよなら蒼玄寮悠元寮」を開催しました。

元寮職員の浅野さん、衛藤さん、厨房の小山田さん、西田さん、河野さん、本田さんもいらっしゃいました。

ロビーにて、寮の各世代の写真を掲載したフォトブックが配布されました。同時に同窓会運営費をカンパで集めました。

各々が寮内を散策した後、蒼玄寮玄関前にあつまって寮歌斉唱、記念撮影をしました。

衛藤さんも転機でして、この機会に感謝の花束の贈呈をさせていただきました。

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さよなら蒼玄寮悠元寮」より、ロビーでの受付の様子、衛藤さんに花束の贈呈、記念写真

またさよなら蒼玄寮悠元寮の様子はYoutubeにもアップされています。「さよなら蒼玄寮悠元寮 Youtube」にまとめてありますのでご覧ください。

呑み会

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寮の見納めをした後は、南与野駅近くの「一源」で呑み会でした。

そのお座敷は縦に長く、長机が並んだ様子はまるで娯楽室2,3そのもの。

そのため酒が進み、そのうち大声自己紹介が始まり(店からの注意はなく)、一源のビールを呑み尽くした挙句に、ボトルを注文しまくり、閉店まで盛り上がりました。

会計も徴収した会費では足りず、この日のカンパも同窓会の経費プールも、ここで呑み尽くされました。

寮歌

2010年寮歌歌詞

年間行事で書きました、入寮式、卒寮式、大忘年会、および上に書きましたお祝いや送別会では、必ず寮歌斉唱がありました。

寮歌の歌詞とメロディーは「寮歌」に掲載しています。似たものを2つ掲載していますが、我々が歌っているのは下の「ああ六寮に」です。

2つ掲載してある理由は近況の「寮歌考」をご参照ください。

最後に

以上、埼玉大学学生寮の在りし日の姿を回想しながらサイト内の記事を紹介してきました。

最初からここまで読まれた方は、同窓生でなくっても、埼玉大学学生寮に詳しくなっていることでしょう。

ぜひ「寮史」のSogen-Yugenクイズにチャレンジしてみてくださいね!

 

おまけに、寮がなくなった後の埼玉大学近辺の記事として以下もあります。

 

以上、蒼玄寮悠元寮ナビゲーションでした。