サイト管理人です。

2018年4月8日、2015年4月にサイト復活してから今までなかった寮歌のページを作成しました。

その際に湧いた疑問を発端に、今更ながら寮歌に対して思考したことを書こうと思います。

私は、在寮中には普通に寮歌を歌っていましたが、日本寮歌祭へ行くほどの寮生ではありませんでした。

「嗚呼六寮に」の歌詞の違い

暮鳥か暮烏か

改めて寮歌のページを作成するにあたって、どこから歌詞を持って来ようか?

思い当たったのが、長年事務員を務められた浅野幸さんが書かれた「小さき山にて -人生はただひと度の招待-」(1996年3月20日発行)でした。

「小さき山にて」の147ページ、本文とは別にある「昭和七年度寮歌 嗚呼六寮に」を入力していて、二番の歌詞にある「暮烏」が烏(からす)なのに気が付きました。

これが「小さき山にて」でなければ、きっと誤植だろうと「暮鳥」と変換して終わりです。しかし浅野さんが校閲されたであろうことを考えると、誤植とは思えません。

烏(からす)に打ち直してページを作成しましたが、これも自信があるわけでなく、娯楽室(同窓会のフェイスブックグループ)に疑問を投稿しました。

暮鳥とは

「暮烏」(からす)をネットで検索してみると、まず群馬県出身の詩人、山村暮烏が出てきます。また芭蕉の句「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」もありました。

とにかく暮鳥に(からす)の字を当てた例もありましたし、情景は芭蕉の句と一致しました。

娯楽室では「烏と書かなくても暮鳥で烏(からす)をイメージできる」とコメントを頂きましたが、実は私、これに気がつく今の今まで暮鳥は雁だとイメージしていました。出身地にもよるのでしょうが、確かに雁の声は聞いたことはなかった…。

 

「暮鳥」(とり)で検索してみても山村暮鳥が出てきます。同時にWeblioやコトバンクにて「暮鳥」が山村暮鳥にフォワーディングされており、一般に「暮鳥」という言葉が無いことも分かりました。

その他にも「萬聲」(万声)のような、一般に例が見られない言葉が歌詞に見られます。

インターネットにて

その翌日、確か旧制高校の寮歌を集めたページを見たことがあることに思い当たり、ネット検索をしてみました。

まず見たのが、以下のページの下にある「嗚呼六寮に」のページです。(そのページに行くとMIDIファイルが勝手にダウンロードされるので、一つ上のページへのリンクです。)

ここを見ると「暮鳥」(とり)です。

またページ冒頭に「浦和高等学校昭和八年度寮歌」とあり、年度も「小さき山にて」の「昭和七年度」と異なります。

歌詞の他の部分を注意深く見ましたが、「小さき山にて」とは暮鳥以外にも以下の違いがありました。後ろのカッコ内が「小さき山にて」の記述です。

  • 一番:「音も無し」(「音もなし」)
  • 五番:「混沌の常闇に」(「混沌と常闇に」)」

六番の「晦」についても、「小さき山にて」ではつくりが「毎」なのですが、このようなフォントはありません。ですのでこれは違いと思わないことにします。

このページのソースを見ると「IBM WebSphere Studio Homepage Builder Version 12」で作られたようです。ホームページ・ビルダー 12の発売日より、このページは2007年12月以降に作られたことがわかります。

 

Youtubeには動画があげられていました。TAK SIさんという方のチャネルです。

 

まず「緑咲香澄って誰?」と思いましたが、音声合成ソフトウェアのようですね。

冒頭のタイトルの前には「寮歌(昭和八年)」とあります。そして何故か四番がありません。

歌詞については、TAKECHANさんと同じ箇所の他に、以下の違いがありました。

  • 三番:「窓の過去」(「窓に過去」)

この動画の公開日は2017年1月4日です。

 

TAKECHANさん、TAK SIさん共に、沢山の旧制高校寮歌をあげられていますので、寮歌祭に関係されている方かと推察します。(もしかしたら、同一の方かもしれませんね。)

尚日本寮歌祭は、奇しくも蒼玄寮悠元寮の最期と同じ2010年に第50回をもって終了したようですが、「中央寮歌祭」なる大会が後を引き継いでいるみたいです。

違い

「小さき山にて」の「嗚呼六寮に」と、ネット上に見られるものには以下の違いがありました。

  • 一番:「音も無し」(「音もなし」)
  • 二番:「暮鳥」(「暮烏」)
  • 三番:「窓の過去」(「窓に過去」)
  • 五番:「混沌の常闇に」(「混沌と常闇に」)」

一番と二番の違いについては、歌うと同じなのでどうでも良い、と思われるかもしれません。私がインターネット上で配信する上での、情報の正確を期し、また著作者を尊重しようとする個人的なこだわりに過ぎないのかもしれません。

三番の「窓の過去」は、歌い継ぎ書き継ぐ中で生まれたバリエーションの一つのように思います。意味としても「窓に過去を」でないと素直に繋がりません。

五番の違いについては、これを歌ったことがない私にはどうとも言えません。意味としては両方ありえます。(私の在寮時代の寮歌は三番まででした。)

 

それに大きな違い、副題は「昭和七年度寮歌」か「昭和八年度寮歌」か?

鳥と烏は元資料が読みにくかったからといえなくもないですが、八を七に間違えるとは思えません。それに「小さき山にて」の本文、結婚式のスピーチを起こした稿でも、浅野さんは寮歌を「昭和七年に作られた」とおっしゃられています。(昭和八年度寮歌が七年に作られていてもおかしくはありませんが。)

推測ですが、1975年より事務員を務められた浅野さんが持っていたのは、寮歌祭関係に伝わる「嗚呼六寮に」とは、また違う資料だったのではないでしょうか。

 

先に挙げたTAKECHANさんのページを見ますと、昭和七年度は「寮歌 浦高自治寮音頭」です。

この寮歌の作曲者はあの金田一春彦先生です。金田一先生が先輩とはこの一件で初めて知りました。

答えのある場所

こんな記事も見つかりました。

記事の日付は2012年4月6日です。

坪野和子さんは文化人類学の先生のようで、記事から推測するに教養学部(或は教育学部)の講師をされていたようです。

この記事の、我々のよく知っている方の顔の下にこうあります。

「『寮歌全集』同窓会編p.58」

これは恐らく記事の下にある「『旧制浦和高等学校寮歌全集』旧制浦和高等学校同窓会 平成8年11月1日発行」のことだと思います。

 

これを確認するには、手っ取り早く埼玉大学の図書館に行くと良いのでしょう。

2009年3月に幕を閉じた官立浦高同窓会の資料を大学図書館が引き継いだ旨が書かれている記事です。

ここの主要資料に「寮歌集、同CD・テープ他」とあります。もちろん古い、原典に近い寮歌集もあることと思います。

(澁澤龍彦さん、半藤一利さんも旧制浦高出身の先輩だったのですね。また2009年度の下半期は「さよなら蒼玄寮悠元寮」の絡みで大学には結構行っていたはずなのですが…。)

 

余談ですが、大学図書館のサイトには以下のページもありました。

このページの最初の写真ののぼり旗は、見たことがあります。

日本寮歌祭

1991年頃の日本寮歌祭での写真です。

補足

寮歌・校歌の歌詞を調べる方法が国会図書館のサイトにありました。

ここの「1. 図書資料から探す」の章に挙げられた文献を当たれば一般的に流布している「嗚呼六寮に」の歌詞はわかるのでしょう。

しかし寮歌関連で一番古い、「日本寮歌大全 別巻:旧制高等学校寮歌集」(旧制高等学校資料保存会 編著)でも1996年の刊行、「小さき山にて」と同年です。

歌詞の変遷を探るにしては新しすぎですし、なにより国会図書館に行くのは面倒です。

 

また国会図書館のサイトには以下もありました。

この本の出版年は1956年。戦後11年の刊行とちょうど良さそうな古さです。

デジタルライブラリで見えるかと、右側のリンクをクリックしましたが、見ることはできませんでした。

図書館向けデジタル化資料送信サービス参加館一覧」を見ますと、私の近場の図書館は入っていません。

埼玉大学の図書館も入っていませんが、行くのであればついでにさいたま市立武蔵浦和図書館あたりで調べればよいのかもしれません。

武原寮について

蛇足そして今更ですが、埼玉大学蒼玄寮悠元寮の寮歌は、旧制浦和高校武原寮の寮歌の一つ「嗚呼六寮に」を継承しています。

武原寮は、浦和高校設立の一年後、大正11年5月17日に開かれました。

この時は東三寮のみでしたが、二学期には西三寮が開かれています。合わせて六寮。

各寮の呼び名も、東一、東二、東三、西一、西二、西三だったようです。

武原寮と名が付いたのは意外と遅く昭和10年末、呼称されたのは昭和11年からということです。

この武原寮正史を斜め読みしたのですが、刊行された昭和18年の思想が戦前の出来事に対しても反映されており、興味深いものでした。この僅か二年後の終戦にてその反動を迎えるのでしょうけど。

 

武原寮があった場所は、浦高があった北浦和公園の南、今の常盤小学校の場所ということです。

教育学部、谷先生の今昔マップで見てみましょう。

今昔マップ on the web」で見る)

1945-50年の航空写真ですが、恐らく常盤小学校の校舎(西)側に見える6棟なのではないでしょうか。

寮歌の変遷

ああ六寮に

娯楽室でコメントを頂いて感じたことは、歌い継がれ書き継がれた「ああ六寮に」も、我々の寮歌としてサイトに掲載すべき、ということでした。

「小さき山にて」の本文に書かれた寮歌と、寮祭パンフにある寮歌は一致しました。

寮祭パンフには「寮歌」としかありませんが、「小さき山にて」の本文には「ああ六寮に」とありましたので、これをタイトルとして、寮歌のページに併記しました。

以降、旧制浦高の寮歌を「嗚呼六寮に」と、歌い継がれ書き継がれた寮歌を「ああ六寮に」と表記します。

書き継がれた寮歌

寮祭パンフのいくつかは、サイトの「寮祭パンフレット大行進」より見ることができます。

このページにあるパンフでは、1975年から1993年のものに寮歌が書かれています。

その歌詞に変化はありません。前の年のパンフを参考に作るのだから、それもそのはず。

これらを見ると「嗚呼六寮に」で漢字であったところを平仮名にしたところがあり、さらに三番三行「窓に過去をしのぶれば」が「窓に過を偲れば」と表記が変わっています。

 

そしてこれは1996年、浅野さんの卒寮式のときの寮歌です。

1996年寮歌歌詞

表記はほとんど「嗚呼六寮に」と同じです。「来」の字も、現在では全く書かれない旧字体になっています。

島屋にも書き継がれた寮歌があったかもしれませんが、グループの人間ではない私には空想しかできません。

 

いずれにせよ「嗚呼六寮に」と「ああ六寮に」の違いは、一番二行が「音もなし」か「音もなく」かです。

寮祭パンフより、遅くとも1975年には既に「ああ六寮に」の歌詞になっていた、と言うことができます。

何番まで歌うか

寮祭パンフでは、1989年までは四番まで書かれていたのが、1990年からは三番までになっています。

これは私も当事者の一人だったのかもしれませんが、1989年の時点でもう寮歌は三番までしか歌われなくなっており、1990年ではその現行に合わせることにした、ということだったかと思います。

一方、1975年のパンフに四番まで書かれていたということは、その年か数年前までは四番まで歌われていた可能性も考えられます。

2000年代の寮歌

私の記憶が確かならば、私や多くの卒寮生が、寮歌を四番まで歌ったことが一度だけあります。

2003年3月の厨房の皆様の卒寮式です。

このときは歌詞を書いた模造紙とビラを、当時の現役寮生が用意して下さいました。既に寮祭もなくなって寮歌を歌わなくなった世代、古い資料を参照したのか四番まで書いてありました。

恐らくほとんどの人が初めて四番を歌ったので、戸惑いがあったのではないでしょうか。

 

そして2003年9月に同窓会サイトができました。

今とはドメインも構成も異なるこのサイトを、旧サイトと表記することにします。

旧サイトに掲載されていた歌詞を今見直してみると、浅野さんの卒寮式のときと同様の「ああ六寮に」の歌詞が、四番まで書かれていました。

また「嗚呼六寮に」の古い譜面と、それを新しく起こした譜面も掲載されていました。

これについては次の節にて触れます。

 

そして2010年のさよなら蒼玄寮悠玄寮での寮歌。皆で歌った寮歌としてはこれが最後です。

 

この模造紙の歌詞は、確か先輩が用意してくださったビラをもとに、私が模造紙に書いたものです。

2010年寮歌歌詞

模造紙の漢字表記は寮祭パンフのものと同様ですが、一番二行は「音もなし」と「嗚呼六寮に」と同じです。

動画では、やはりここのところで歌い淀んでいます。

「音もなし」はビラから写すときにちょっと逡巡しましたが、配布するビラと同じ方が良いだろうとそのまま書きました。書きやすい、読みやすいようにと、難しい漢字を平仮名に書いた記憶もあります。

今見返して後悔したのは「窓」を「空」と書いてあるところ。今更ですがここにお詫びいたします。

 

これらのように2000年代には、古い資料から起こされた「嗚呼六寮に」と歌い継がれた「ああ六寮に」が、混ざるような現象が起こっていました。

といっても、あくまでもOB・OGの間での話です。現役寮生の間で寮歌が歌われなくなっていった経過は、私にはわかりません。

旧サイトの寮歌

2003年に作成された旧サイトに掲載されていた寮歌の譜面は以下です。

嗚呼六寮に

前者が資料のスキャン、後者がそれをきれいに直したものだと思われました。

掲載していたMIDIをMP3に変換したものがこちらです。

ここで2つの譜面をよく見ると、4小節「おともなく」の「な」、8小節「くれんとす」の「と」の音が異なります。

純粋に古い譜面を書き直したのではなく、アレンジが入っているようです。

そしてこれもまた古い譜面と異なる、7小節「いまむさしのは」の「い」の音は「ああ六寮に」と同じです。全体のリズムも「ああ六寮に」と同じ「タタータータ」です。

以上よりこのメロディーについても、新旧のハイブリッドな2000年代の寮歌と言えそうです。

メロディーの違い

旧サイトのMIDIや「嗚呼六寮に」の動画を聞いていると、慣れ親しんだ「ああ六寮に」のメロディーがだんだん想起できなくなってきました。

そこで、楽器のできない私にも今のソフトウェアならと思い立ってやってみたところ、2010年に歌われた寮歌の音声から案外簡単にMIDIファイルができました。

これができれば新旧のメロディーの比較もできそうです。

 

「嗚呼六寮に」のほうも、旧サイトに掲載されていた前出の古い譜面から起こし直してみました。

この譜面のスキャン元の資料が何なのかは、私にはわかりません。

「嗚呼六寮に」のリズム

この粗い画像からは、奇数拍の連桁の音符が明確に読み取れません。

例えば2小節「あきたけて」には、以下の3通りが考えられます。

あきたけて

最初の小節は、所謂「ピョンコ節」です。TAKECHANさんのページのMIDIはこれです。

次の小節は、より平らな感じです。TAK SIさんの動画がこれにあたります。

最後の小節は、「ああ六寮に」と同じ「タタータータ」のリズムです。

 

下に歌詞を付けるときは、恐らくこの譜面ソフトのように音符の長さを距離でも表したくなるのでは、と考えると、三番目の「ああ六寮に」と同じはないような気がします。

偶数拍の十六分音符の旗のいくつかは見えるのに対し、奇数拍には十六分音符の旗は見えません。最期の小節には付点も見えないことから、二番目の平らなリズムのような気もします。

一度これで起こしてみたのですが、聞いてみると何か違和感…。

結局は、旧制高校の寮歌に多かったらしい一番目のピョンコ節にしました。

 

これまた大学図書館に行けば、原典に近い楽譜が得られるのでしょう。

メロディーの比較

では「嗚呼六寮に」と「ああ六寮に」のメロディーを比較してみます。(楽譜にト音記号や終端の縦線が無いのはご愛嬌で。)

音程の異なるところは三、四行「ぼんしょうとおく かぜさむく いま」の、「と」「か」「い」の音です。

リズムも、平らな感じか或はピョンコ節から、今の「タタータータ」に変化したのでは、と推測しています。

 

尚、2010年の「ああ六寮に」の歌い出しの音は解析ソフトではC#3でしたが、譜面と音源ではA3にシフトしてあります。キーとテンポは歌うたびに違いますから。

そしてMP3も譜面も寮歌のページに掲載しておきました。

 

以上、歌い継がれてきた「ああ六寮に」の変遷・変化を書きました。

金田一春彦先生は「言葉は生き物」とおっしゃっておられましたが、そのお言葉を借りると「歌も生き物」と言えそうです。

これから

「嗚呼六寮に」の歌詞表記の問題に戻ります。

サイトの記事の正確を期すのが目的であれば、「嗚呼六寮に」の歌詞は旧制浦高同窓会の資料、その中でも原典に近いと思われるものと一致させればよいのでしょう。

今の所「昭和八年度」「暮鳥」「混沌の常闇に」の可能性のほうが高いのではないか、と思っています。

もしそうだとしたら、浅野さんが所持されていた資料は何であったのか?今となっては藪の中です。

 

もし大学に行く機会があるか、またどなたかが行って調べられるかしたら改めて考えるとして、サイトに掲載の歌詞としては「小さき山にて」に従ったものにしておこうと思います。

答え合わせ(2018年9月23日追記)

寮歌集

同窓生の方から「定本 浦和高等学校寮歌集」(浦和高等学校同窓会、1983)の該当ページを頂きましたので、これを正解として「寮歌」のページを更新しました。

「昭和八年度」「音も無し」「暮鳥」「窓の過去」「混沌の常闇に」と、ネットの情報と同じになりました。

メロディーもTAK SIさんの動画同じ、フラットな感じの拍子になりました。

歌詞の意味

さらに寮歌のページの作成時点、4月8日に戻ります。

この日改めて「嗚呼六寮に」の六番までを読み返して、寮歌の意味が初めて理解できました。卒寮と「小さき山にて」の出版から20年経過しての今更ですが…。

 

歌い継がれた「ああ六寮に」では三番まで歌います。

二番までが小雨と風の、寒い秋の夕暮の風景です。三番にて過去を思っている心情が吐露され、その四行をリフレインします。

寂しい情景です。

 

「嗚呼六寮に」の四番の先頭には、「されど」と逆説の接続詞があります。ここから歌詞の意味が「転調」します。

五番六番では、夜の闇や風と対比して、寮生の内面の暁光を描いています。

力強く若々しい情景です。

もし六番の四行をリフレインしていたとしたら、全くイメージが違いました。

 

しかし人生の黄昏時を迎えつつある今の私にとっては、「ああ六寮に」のほうが親しみやすく感じます。

「故山」の一つは、まさに四半世紀前の寮生活なのですから。

 

了。