寮内のアルコール事情を書きたいと思います。
四半世紀前の話ですが、アルコール・ハラスメント、未成年飲酒、それに飲酒時の狂態の話、加えて下ネタもありますので、それらに嫌悪を感じる方は読まれないようお願いいたします。
はじめに
はじめにお断りです。
- 本記事は、未成年飲酒やアルコール・ハラスメントを容認するものでは決してありません。平成初期における一大学自治寮の風俗を書き残すことが目的です。
- 当時行われていた飲酒後の介抱を書きますが、それで急性アルコール中毒が防げることを保証するものではありません。飲酒の強要はしないことは勿論ですが、正しく対処し、事態によってはすぐに救急車を呼ぶことが肝心です。
- コンパ芸やコールなどについて書きますが、隣接する民家もない、学生寮という一般と離れた環境で行われていたことが前提です。居酒屋等公共の場所やアパートなど、付近に迷惑がかかる場所でしてよいことでは勿論ありません。
今はどうか知りませんが、当時の学生一般において未成年飲酒は普通でした。サークルのコンパは勿論、一年生のクラスコンパも居酒屋でやってましたから。
そして、とんねるずの「一気!」(1984年、秋元康作詞)によって一気飲みが全国のお茶の間に知れわたってから、5年後の時代です。一気飲みの危険性は言われはじめており、事務室の前の掲示板にも、その危険性を訴える切り抜きが貼られていました。(浅野さんが貼られたのでしょう。)
そういう時代背景もあります。
ブロックの新歓コンパ
ではまず「新歓編」の補足として、4月に新入寮生が入ったところから。
コンパ前
新入寮生が部屋に落ち着くと、部屋の先輩から夜から歓迎のコンパがあることを知らされ、さらに「酒は飲めるか?」と聞かれます。
文字通りの意味ではなく「酒を飲んで極端に体調が悪くなることはないか?」という意味です。
この時代でも先輩の側には、アルデヒド分解酵素がないか極端に少ない人がいる、くらいの知識はあり、そのような人は自己申告で「飲まなくてよい」としていました。
まあ、高校時代に酒を飲んだ経験があるのを前提に聞いているのですが。
そしてさらに、洗面器をベッドに置いておくことを言われます。
礼儀
コンパの最初に礼儀を教わります。
- 先輩が酒を勧めてきたら、必ずグラスを空ける
- 先輩に酒を注がれるときは、必ずグラスに両手を添える
- 酒を注ぐときは、必ずラベルを上にする
ここで「酒を勧める」とは、瓶を持ってその口を相手に向けることを指します。
寮にいる間はこれらの礼儀が体に染みつきます。社会人になっても条件反射でしてしまいます。グラスを空けることは、もう社会では必要はないのですけどね。他の2つは礼儀正しく見えるのでよいのですが。
ラベルを上にするのは、相手に銘柄が見えるようにするためだとか、ラベルが濡れないようにするためという説がありました。後者に関しては、化学系ではそれが当然なそうな。(薬品でラベルがボロボロになるので。しかし酒はそれほどの薬品ではない。)
さらにブロックによっては(例えば四西)「酒の一滴血の一滴」といって、もし酒をこぼしたら「すすれ!」と言われたそうです。私のブロックではありませんでした。
ちなみに「酒の一滴血の一滴」には続きがあり、「煙草の一本指一本」と言われていました。どうやらこれらは戦時中の標語「石油の一滴、血の一滴」から派生したようです。
コンパ中
乾杯はビールですが、2杯目からは日本酒です。
酔いが回った頃に、先輩が大声自己紹介のお手本を見せます。新入寮生も続きますが、これについては既に「新歓編」に書きました。
新入寮生は、先輩に酒を勧められ、礼儀に従ってグラスを空け、大声自己紹介をし、さらに他のブロックに挨拶回りに行くと同じことが繰り返されます。
そのうち潰れ、先輩に抱えられてトイレで吐き、自分のベッドに連れられていきます。
介抱
寮生が行う潰れた人の介抱の仕方は以下です。
- 水を大量に飲ませ、吐かせることを繰り返す
- ベッドに運んだあとは、右を下に横向きに寝かせる
- 洗面器に新聞紙を敷き詰めて置き、すぐに吐けるようにしておく
- 1時間ごとに様子を見て回り、呼吸や顔色を伺う
吐かせるために先輩は「指を貸す」こともありました。
横向きに寝かせる理由は、嘔吐したときに吐瀉物が喉に詰まることを防ぐため、右を下にする理由は胃の出口を下にするためと言われていました。
何にしろ、放っておかないことが重要です。
それから
翌日、新入寮生は二日酔いです。(先輩も)
お昼からは先輩も面倒見つつ新生活の手配をしますが、夜はまた新歓コンパです。
これが入学式の前の晩まで毎日続きます。
それが過ぎると、ブロックでの新歓コンパは終了。コンパの回数も減りますし、先輩が無理に酒を進めてくることはほぼなくなります。
しかし「礼儀」が絶対なのはかわりません。
理屈
なぜ飲ませるのか?先輩の側にも理屈がありました。
コンパの理由は腹を割って語り合うこと。酒はその道具。酒を飲むには自分の限界量を知っておく必要がある。新歓期にその限界量を知る。
先輩の側も、「伝統」とこのような理屈に則って、新歓コンパのために事前に一人一万円払って酒代を用意していました。
確かに寮で自分の限界量を知ることができました。しかしこれも社会人になってからのギャップがありました。
寮で知ったのは、寮内のコンパ会場から自分のベッドまで自分の足で帰ることができるための限界量です。社会人になってからその限界量手前まで飲んでしまうと、電車が自分のベッドになってしまいます。そして終着駅で肩を叩かれ…。
また私がいた頃の蒼玄寮では、後輩を急性アルコール中毒に至らせ、救急車を呼ぶ事態になることは恥ずかしいこと、という意識がありました。自分たちで責任が持てないのに飲ませている、ということですから。
全寮連大会の交流会にて、とある寮の寮生は「今年の新歓では救急車を5台呼びました」と自慢げに言っていました。確かその寮は翌年も同じように自慢していたと記憶しています。
これには違和感を覚えました。各地の寮によっては価値観が異なったのでしょう。
二西の花見
新歓コンパ期間の最中、二西ブロック主催の花見が行われました。
場所は二食(生協第二食堂)横の花見スペースです。今では学内は飲酒禁止かもしれません。
また花見スペースは現在おしゃれなデッキになっています。
準備
花見の日には、2年生が予め3,40人がお花見できるよい場所を確保しておきます。東側の桜の列の下。
座れるように段ボールが敷かれ、酒もそこまで運ばれ、午後の日の高いうちからコンパが始まります。お花見ですから。
他の学生や、職員さんか近所の人も何組かお花見していたりしますが、それらの人々はそのうち狂乱を目の当たりにすることになります。
お花見開始
3,40人の結構な人数で車座になって花見をします。最初のうちは。
そのうち大声自己紹介が始まります。
そして一年生は、車座の内側に入り先輩一人と向かい合わせになり、話を終えたら時計回りに回る、というような形になります。
先輩と向き合ったら、「まあ」ということで酒を勧められるわけです。一年生は礼儀に従いグラスを空けます。
また他のブロックも後から一年生を連れて遊びに来ます。一年生は自己紹介をして、時計回りの輪に加わります。
搬送
一年生は潰れていきますが、なんせ二食横。寮まで運ばなければなりません。
リヤカーに乗せて寮のベッドまで運んだり、またリヤカーが間に合わずに二人掛かりで肩を担いで運んだりします。
中には、運ばれている途中で自らリヤカーから降り、歩いて花見の輪に戻っていった、という伝説を作った一年生もおりました。
今さらになりますが、寮にはリヤカーが2台ありました。行事の際に学生課や常盤女子高から暗幕やスポットライトを借り、それを寮まで運ぶのが正しい使い方なのですが。
一年生を運んだあとは、前章に書いた介抱をしたことは言うまでもありません。
それから
一年生が全員寮に帰った後も、車座を小さくして呑み会は続きます。
夜も更けた頃にお開きとなります。
サル山ができた年、まだ池に水が張られたばかりできれいだったので、花見の後皆でそこで泳いだり、水遊びをしたりした思い出もあります。
一般の学生さんもメインの通りを歩いていましたが…。
経済学部の学部別交流会
経済学部の学部別交流会では「京浜東北線一気」というものが行われていました。今で言う「コール」です。
京浜東北線一気
娯楽室1で車座になり、順番に一人ずつ立って呑みます。皆が歌い、それが終わる前に飲み干さなければなりません。
歌は、山本リンダの「狙い撃ち」(1973年)のメロディーに乗せて以下のように歌います。
浦和 浦和 うら浦和/浦和 浦和 うら浦和
浦和 浦和 うら浦和/浦和の次は北浦和
次の人のときは、「浦和」の部分が「北浦和」になります。そして次は「与野」です。
こうして、京浜東北線を上り下りし、埼京線や山手線にも乗り入れます。次、次の次の駅は、車掌さんよろしく進行役が歌の合間にアナウンスします。
尚、90年代前半に「タモリのボキャブラ天国」という番組で同じような替え歌がありました。「浦和」と着く駅名をすべて並べ最後に「浦和は7つの駅がある」と閉めるものです。
京浜東北線一気はそれ以前から行われていたもので、これを真似したものでないことは強調しておきます。とはいえ、70年代の小学生も同様の替え歌を歌っていたであろうことは想像するに難くありませんが…。
駅名と同じ姓
経済学部にとある駅名と同じ姓の人がいました。
その人は、その駅になると、自分の番でなくても雰囲気で一気飲みをしました。周りもそれを面白がりました。
それ以降、経済学部に姓と同じ駅名がある新入寮生が入った場合は、同じ目に合うようになりました。そして学年が上がっても、その駅からは逃れられません。
一気の運行
京浜東北線一気の進行役は、その(盛り上がる)駅まで列車を運行しなければなりません、事前に時刻表を見てルートを考えておきます。日本海側のとある都市と同じ姓の人が入寮した年には、大宮から上越新幹線、そして北陸の特急を乗り継いでその都市の駅まで行きました。リアリティが大切。
そして更には、経済学部でなくっても、駅名と同じ姓の新入寮生は経済学部の学部別交流会に招かれる、という事態にもなりました。幸か不幸か…。
風習とコンパ芸
寮のコンパには、寮ならではの風習とコンパ芸がありました。
寮雨
寮雨とは、酒を飲んでトイレが近くなったときに、トイレに行くのが面倒なのでベランダで用を足す、というものです。
寮雨はどうやら旧制浦和高校の寮時代からあり、さらにはその時代の旧制高校の寮に広くあったようです。
「浦和高等学校史」(旧制浦和高等学校同窓会、1992年)からの引用です。右端上「怪哉 月があるのに雨がふるッ…」、右下「チェッ 上の奴が又寮雨しやがる」
これが面倒くさがりの悪習だったらまだよかったのですが、困ったことには、四西ブロックの飲み会に行くと先輩にこれを強要され、トイレに行くことを禁止されました。
寮雨に関してはブロック討論でも話題になっていました。洗濯物を干していたり、取り込み忘れていたりすると小便を掛けられる、迷惑、やめろ、と。まあ、委員会に言ったとしても止まることはありませんでしたが。
ちん拓
ちん拓とは、文字通り局部に墨を塗って拓本を取ることです。やっぱり下級生が先輩に強要されました。
何気なく壁にあったりもしますが、そのうち壁の塗り替えで消えます。「寮自治編」にもかきましたが、悠元寮生が蒼玄寮の風呂を利用していたときに、脱衣所の目隠しの模造紙に押されたこともありました。
これも寮ならでは、というものではありません。検索してみるとYoutubeに、有名漫才コンビがやった、というトークがありました。
よかちん
ここからコンパ芸です。
「よかちん」(踊り)は、一升瓶を一物に見立てて股間にあて、腰を落として踊ります。手拍子にあわせ、一升瓶をVの字を描くように振ります。
歌詞は以下。
ひとつ出ましたよかちんちん(よかよかちんちんよかちんちん)
ひねればひねるほどよかちんちん(よかよかちんちんよかちんちん《以下略》)
ふたつでましたよかちんちん/ふればふるほどよかちんちん
みっつでましたよかちんちん/みればみるほどよかちんちん
よっつでましたよかちんちん/よじればよじるほどよかちんちん
いつつでましたよかちんちん/いじればいじるほどよかちんちん
むっつでましたよかちんちん/むけばむくほどよかちんちん
ななつでましたよかちんちん/なめればなめるほどよかちんちん
やっつでましたよかちんちん/やすればやするほどよかちんちん
ここのつでましたよかちんちん/こすればこするほどよかちんちん
とおとでましたよかちんちん/とばせばとばすほどよかちんちん
ひゃくとでましたよかちんちん/ひゃぶればひゃぶるほどよかちんちん
せんとでましたよかちんちん/せんずればせんずるほどよかちんちん
まんとでましたよかちんちん/まんぐあえばまんぐあうほどよかちんちん
おくとでましたよかちんちん/おくへおくへとよかちんちん
(よかよかちんちんよかちんちん)の掛け声で、ぐるりと一周します。
もともと九州地方の芸のようで、ネット上にもありました。
これとか。これも歌い踊り継がれて行く過程での変化でしょう。拍子、歌詞、踊りが私の知っているものとは違います。(動画のほうが本流か?)
大黒様
「大黒様」も下ネタの数え歌です。踊りもあったのですが、結構複雑です。
最初は童謡「だいこくさま」の替え歌ですが、転調の後に速いテンポの掛け声に変わります。
歌詞は以下です。ネットでも明記を憚られるところは伏せ字です。
大きな袋を股にさげ 大黒様がいなされた
そこへ村の芋娘 胸をはだけて丸裸
大黒様は喜んで 裏の泉でちん洗い
裏の茂みに連れ込んで いろいろ教えてあげましたハァ~
(○○○、○○○、○○○、○○○、○○○、○○○、○○○、○○○)
一つ開いた傘屋の○○○
(○○○、○○○、○○○、○○○、○○○、○○○、○○○、○○○《以下略》)
二つ膨れたパン屋の○○○
三つ見慣れたカカアの○○○
四つ□□□□売春○○○
五つ芋屋のカス○○○
六つ向こうの土手○○○
七つ質屋の出し入れ○○○
八つ八百屋のピー○○○
九つ□□□のパイパン○○○と、いろいろ教えてあげました
かっこ内は合いの手、皆で連呼します。
全寮連大会の交流会では、先のよかちんと、この大黒様を蒼玄寮のコンパ芸として披露しました。
今思い出すと、ここまでの風習コンパ芸はすべて四西ですね。しまやの伝統なのでしょうか?
大黒様は検索しても他に見つかりませんでした。例えどこかに伝わっているとしても、Youtubeにアップすることは流石にできないでしょう。
国民のお酒
「国民のお酒」は小唄、といった感じです。南四の某先輩が好んで歌っていました。
国民のお酒は焼酎 誰でもすぐに飲める(繰り返し)
ビールならちょっと高い ウィスキーなら(もっともっともっと)高い国民のお風呂は銭湯 誰でもすぐに入れる(繰り返し)
サウナならちょっと高い ソープなら(もっともっともっと)高い国民の大学埼大 誰でもすぐに入れる(繰り返し)
早稲田ならちょっと高い 東大なら(もっともっともっと)高い国民の住むとこ蒼玄寮 誰でもすぐに住める(繰り返し)
アパートならちょっと高い マンションなら(もっともっともっと)高い
これも検索してみますと「国民の煙草新星」という名前で歌っている歌手の方もいらっしゃるようです。しかしもともとは、各大学や酒席で歌い継がれてきたもののようです。
「国民の煙草新星」もYoutubeで聞くことができますが、これまた歌詞やメロディーが異なっています。
その他のコンパ芸
その他にもコンパ芸がありましたが、おおよそのコンパ芸が学内のサークルや、地方地方から持ってこられたものでした。(ということは、高校か予備校でやっていたのでしょうか?)
例えば全寮連大会の交流会では、他寮の寮生によって、タイムマシンや、陰毛に火をつけるといった芸がなされました。これらを行う人は蒼玄寮にもいました。
陰毛に火をつけることは、西郷隆盛が酒席で喧嘩腰になる藩士の毒気を抜くために行ったと司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にあります。古くからの芸なのでしょう。
他にも「一週間の歌」「リンゴの唄」(いずれも下ネタ)などありましたが、おそらく蒼玄寮に伝わるものではありませんので割愛します。
おわりに
以上、四半世紀前の蒼玄寮の新歓コンパの様子と、時折行われたコンパ芸をご紹介いたしました。
「はじめに」に書きましたように、これらは時代背景と学生寮という環境の賜物です。これから現れることはないでしょう。
時代の記録として、こんなことも記してみました。
- 投稿タグ
- コンパ
文理学部経済64年卒です。君らよりも先輩として蒼玄寮で生きていたものです。貴君の報告は雰囲気はあるが当時の方が迫力というかめちゃくちゃというか次元が違うようだ。ただ、同じく懐かしの蒼玄寮で暮らせた者同士の同志愛は感じるよ。