一年間を通しての行事についての第2回は、夏と秋のお祭りについてです。

埼玉大学学生寮には、7月の「納涼祭」と、11月の「寮祭」の2つのお祭りがありました。

納涼祭

納涼祭は7月の七夕あたりに行われました。

その準備は新歓が終わった頃から始まります。

準備

前回の新歓と同様、納涼祭も実行委員会を組織しました。学寮から予算が出され、役員の選挙を行い、総括をするのも共通します。

納涼祭実行委員会に参加する一年生にとっては「納涼祭は寮祭の企画の練習」といった意味もありました。

実行委員会が納涼祭当日の前に行う作業としては、必要なものを手配するといった企画の準備のほかに、情宣(情報宣伝活動)がありました。

情宣

情宣では、ポスターを描いて寮内に貼ったり、パンフレットや新聞を作って居室に配布したり、テープを作って風呂の脱衣所で流したりして、各企画を紹介していました。

新聞は、「寮自治編」の委員会室の章に示しました、輪転機にてわら半紙に印刷したものです。ワープロの専用機が普及する前の時代ですから、その原稿は手書きです。

パンフレットも同様ですがこちらは冊子です。わら半紙の印刷した面が外側になるように2つにおり、それを束ねて色のついた紙で表紙をつけ、ホチキスで綴じていました。パンフレットには、各ブロックの出店や、企画に出場する寮生の名前や対戦トーナメント表が書かれていました。

「テープ」とは、オーディオ・カセット・テープ(音声記録用磁気テープ)のことです。テープにラジオ番組風の宣伝を録音しておいて、その音声を脱衣所においたラジカセで再生していました。

33102359263310235941卒寮ビデオ」の1993より、納涼祭パンフとうちわ。

納涼祭の出店

納涼祭は夕方から始まり、各ブロックなどが出店を出しました。

33110024013311002413卒寮ビデオ」の1991 納涼祭より。北棟東の前のテントが出店です。北棟と南棟の渡り廊下の上には「盆正」という居酒屋が開店しました。盆正の提灯が光っています。

3311004539また1990より出店?の一つ「売らない焼肉屋」の様子。
出店は主に食べ物屋でしたが、中には花火屋や金魚すくいもありました。

89年は子供を連れた近所の人がちらほら遊びに来たように記憶しています。しかしその後はそれもなくなったように思います。

納涼祭の企画

納涼祭では、バンド演奏、盆踊り、それと当時のテレビ番組にあったような企画が行われました。対戦企画はブロックごとで、事前のブロック討論で出場者を決めていました。

各企画の模様を「卒寮ビデオ」の1991 納涼祭の写真を交えてご紹介いたします。

バンド演奏

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蒼玄寮美人コンテスト

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男子寮生による女装コンテストです。定番企画で、おおよそのブロックで「一年生必修」と言われていました。

優勝者は男子禁制の悠元寮(女子寮)に入れる資格を得られるとの伝説もありましたが、実行した優勝者がいたかどうかは不明です。

その他の企画

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ビール早飲み競争も定番でした(左)。ブロック代表の出場者を決めるのに、ブロック討論の後に予選大会を行ったりもしました。

右は二人羽織早食い競争です。そのほか年によって、アームレスリング大会や、ビールの銘柄を当てる「利きビール」などもありました。

盆踊り

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東京音頭、炭坑節、浦和おどり、二十一世紀音頭を踊りました。

実行委員の担当が北浦和にお住まいの踊りのお師匠さんとところに行って踊りを習っておき、事前に踊りの講習会を開いて寮生に伝えていました。

お師匠さんからは秩父音頭も習ったのですが、こちらは「難しい」ということで当日踊ることはありませんでした。講習会にて担当者が寮生に披露したくらいです。

各踊りの音源もお師匠さんからレコードをお借りして、テープにダビングをしていたように記憶しています。

寮内花火師連盟

盆踊りで実行委員会の企画は終了ですが、その後に、寮内花火師連盟という団体が北棟屋上から大量の花火を上げました。

事前に実行委員会は寮内花火師連盟の上級生に「ドラゴンを屋上から投げるのはやめくださいね」とお願いしていました。

各出店は夜が明けるまで続きました。

スポーツ大会

納涼祭に伴う実行委員会企画に、スポーツ大会もありました。納涼祭の翌週、大学のグラウンドや体育館で行われました。これまたブロック対抗戦です。

種目はその時々で、ソフトボールやバレーボールなどをしました。

会場では実行委員会がジュース、ビールを販売し、納涼祭の運営費に充てられました。

 

以上、納涼祭についてでした。

寮祭

寮祭は、11月いっぱいに渡って開催されました。この期間中にはむつめ祭(学祭)もありましたから、寮生にとっては普通の学生の2倍以上のお祭り期間です。毎週末に企画があり、平日にもブロックなどによる出店がありしました。

その寮祭の準備や情宣は納涼祭とほぼ同様です。しかし寮祭では、学内にもビラをまいて宣伝しました。

寮祭での情宣について記された記事には以下があります。

合わせて御覧ください。

寮祭パンフ

寮祭のパンフレットは、納涼祭とは異なり、印刷所に発注した活字のものでした。A4サイズでしたが折り畳まれていて、開くと4倍くらいの面積になりました。付近の店から募った広告も掲載されており、その収入は運営費用に充てられました。

時代ごとのパンフレットが「寮史」の寮祭パンフレット大行進に掲載されています。

これらのパンフを見ると、その年ごとの企画や出店、そして広告から当時の大学付近にあった商店を窺い知ることができます。

寮祭の企画

以降は私の居た時代の寮祭で行われた企画をご紹介します。特に断りのない場合は実行委員会企画です。

前夜祭・本祭・後夜祭

寮祭期間中のいつ頃行われるかによってその呼び方は変わりますが、食堂で行われたおおよそテレビ番組的な企画です。個人の出し物、クイズ大会、仮装大会、寸劇、料理の鉄人など、その年ごとの企画が行われました。

近くの国際交流会館に住んでいる留学生を招いての、パーティーもありました。留学生といっても博士課程や研究所の方が多く、お子様・家族連れでいらっしゃいました。

1992 寮祭より企画の様子をいくつかご紹介します。

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個人の出し物です。順に、弾き語り、ダンス、寸劇。

33110009153311000910仮装大会。悠元寮生による「ちびまる子ちゃん」と南四ブロックによる「まんが日本昔話」。

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そしてミュージカル風の寸劇の様子です。2003年ころにつくったGIFアニメーションも合わせて掲載します。

スケート祭典

当時大宮にあった大宮スケートセンターを一晩借り切って行われました。同時期同様の企画を、大学の生協とスケート部が行っていました。いずれも学生や一般のお客さんで賑わっていました。

おおよその時間はフリー滑走ですが、合間合間に、カップルでの障害物競争(風船をお互いの体で割るやつ)、ムカデ競争、ガチのリレーなどの企画もありました。

またリンクの真ん中では、初心者向けのスケート講習もありました。

総合年表」の1996年度によると、この年に大宮スケートセンターは閉館した模様です。

悠元寮解放

寮祭でも、蒼玄寮生が悠元寮に入ることができる日が設けられました。

その日は悠元寮の図書自習室に喫茶店系の出店が開かれ、そこでくつろぐ事ができました。

しかし新歓のはんこ取り競争と違って「目的がわからない」ということになり、寮祭期間の悠元開放はなくなりました。

ボーリング大会

近くの浦和国際ボーリングセンターのレーンを借りてボーリング大会も行いました。4人一チームで、そのスコアを競いました。

実行委員会企画であったり有志企画であったりしました。

33110009181992 寮祭より、その年のボーリング大会主催有志が優勝旗を作っている様子です。

その他の企画

寮祭では、先に書きました納涼祭と同様のスポーツ大会も行われました。

そしてAmライブとディスコも行われました。その内容は「新歓編」の「各サークルの企画」の章に書いたことと同様です。ディスコには、寮の外からも学生さんが遊びに来ていました。

寮祭期間中には、各ブロックやサークル等による出店が娯楽室や蒼玄寮ロビーにて開店していました。そのおおよそが飲食系・飲み屋です。風呂の脱衣所で牛乳やビールを売るブロックもありました。

寮祭に関する記事

ごちそうさまでした」にも、寮祭について触れられている寄稿があります。

そして寮祭の終焉は「総合年表」によると1998年度でした。

「納涼祭と寮祭、ふたつはたいへんだから」ということで翌年から廃止に。もっともといえばもっともだが……。

ごちそうさまでした」の寄稿「便乗寄稿 『卒寮を迎えて』」からも引用します。

 昔は寮祭が2回あって、むつめの時期に寮祭がありました。この当時は12月の初めで今は無き大宮のスケート場で「スケート祭典」があって、雪国出身の私は楽しく滑っておりました。寮祭が無くなったのは「納涼祭と企画がかぶるし、むつめと時期が重なる。」という理由だったような気がします。

写真について

新歓とこれらのお祭りについては、割と各年の写真が残っています。

今と違いフィルム写真の時代です。12, 24, 或いは36枚撮りのフィルムを撮影しきった後に、そのフィルムを写真屋に出しに行きます。すると現像機のある店では一時間弱、ない店でも一両日経った後に、現像されたフィルム(ネガ)と印画された写真(ポジ)を受け取るとこができます。

それらに手間とお金がかかるので、写真を撮るのはほぼ行事やイベントのときのみとなりました。今となっては日常のシーンの写真も撮って残しておけば、と悔やまれます。

今は気軽に写真が取れる時代ですから、何気ない日常も写真に収めておくことをおすすめします。それが四半世紀後には歴史風俗の証拠になっているはず…。

 

また物理的なポジは個人蔵となって集めるのは大変です。しかし在寮当時に卒寮式企画として卒寮ビデオを作成してあったので、まとまって画像が残りました。

このビデオは今で言うスライドショーです。今ではデジタル写真をPowerPointに貼っていくだけで簡単に作成できますが、当時はVHS-C(コンパクトな磁気テープ)のビデオカメラで、4秒づつポジを撮影していました。

掲載の画像はそれをPCにキャプチャしたものなので画像は悪いです。しかしそれ故、個人特定が困難ということで一般公開が可能になりました。

3310235608卒寮ビデオ オープニングより、作成のために集められ、ベッドの上に並べられたポジ。キャプションは、大学のプリンタで印刷してきた紙を切って載せたものです。

おわりに

以上、納涼祭、寮祭という2つのお祭りについて紹介いたしました。

次回は年末の一大行事、大忘年会について書きたいと思います。