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1992年度入寮 間仲(109→113号室)

 人生において自分自身の今後を左右する選択に向き合う場面というのはよくあることだ。もし私が大学入学時に蒼玄寮へ入寮する選択をしなかったとしたら、どのような人生を送っていたかを考えることは今となっては詮無きことだが学生の頃にはしばしば考えたものである。実家から大学まで2時間かからない程のところに住んでいたことや、入寮選考で落ちて実家から通おうかと思っていた矢先たまたま空きができたので入寮できたという経験があるのでなおさらそう思うのである。振り返ってみるとこれまでのさまざまな人生の選択の中でこの上なくよかったと胸を張っていえるような選択は実のところそれほど多くない。

 あの時こうしていれば・・・こう言っていたら・・・という「レバ・タラ」の類いはぱっと思い浮かぶだけでも山のようにあるばかりか、後悔の連続で時間が過ぎていくというのもザラである。しかしこれだけは自信をもっていえる。学生時代に寮に住みそこで生活したという選択は唯一無比の大正解だった。

 そんな寮生活のなかで寮食堂という存在は確実に大きかった。言葉で「ごちそうさまでした」と声をかけるくらいしかできませんでしたが、1日に2回もの食事を提供してくださった厨房の方々には感謝しています。恥ずかしながら寮や実家を出て1人暮らしをするようになって初めて食事を用意することの苦労を知りました。自分一食分でさえ私自身ままならないのに、厨房の方々はその何倍何十倍の寮生の食生活を考え支えていたことに敬意を払わずにはいられません。それは同時に今まで食事を作ってくれた母親への並々ならぬ感謝にもつながりました。

 経済学者サミュエルソンいわく「食を考えぬ者は人生を考えぬ者」とのこと、言い得て妙ではなかろうか。寮食堂は単に食事をする場所にとどまらずに、寮というミクロコスモスの様々なイベントやエンターテインメントの発信場所であったのは周知の通りである。

 たくさんの出来事に順位はつけられないけれど、個人的に印象深かったこととして1年の寮祭(この前ビデオで久々に見たのですが、寮生出演による劇「吉四六’s world」は改めて寮生パワーの炸裂ぶりを実感し作品も秀逸そのものでした)、2・3年の大ボウリング祭主催(100人以上集めてボウリングをする経験はそれ以来ないことは言うに及ばす。食堂での表彰式でビンゴをしたのですが、その商品が学生の分際ながらあり得ないくらい豪華でした。調達に東奔西走してくれたN先輩には一生頭が上がらないです)、一つ上の代の方々の卒寮式(送り出す劇の中でタイムカプセルの使者「サンダーバード」が発進してから、当時は悠元寮の後輩に会うのが無性に恥ずかしかった)です。

 他にも大忘年会の時期に張り出される名前!を見る度にため息が・・・後輩に「間仲さんだけ長いのは何でですか?」と聞かれる度に辛かったです。そういえばこういう役回り、在寮中多かったですね。

 今はそんなこともなくなって平穏無事な生活を送っていますが、少し寂しい気もします。最後になりますが、田中さん、衛藤さんといった厨房の方々や本日この場にお越しになっていたり、残念ながらお目にかかれなかった先輩、同期、後輩のみなさんと知り合えたことは何事にも変え難い経験となりました。本当にありがとうございます。