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Am(エーマイナー)


 時の流れは、町の風景も人の心も、そしてバンドの形態も大きく変えていきます。
 結成された当初、「Am」はライブ喫茶の名前でした。やがてバンド名として寮生のあいだに定着。さらに数年がたって、メンバーの顔ぶれも入れ替わったころ、音楽を愛する多くの寮生が「Am」の名のもとに結集します。そしていつしか「Am」という名前は、ひとつのバンドではなく、いくつかのバンドの複合体を指すようになっていきました。
 当時は、まさにバンドブームの真っ只中。寮内のバンド熱も一気にヒートアップし、多くのバンドがしのぎを削りました。寮食堂でたびたび行なわれたライブは、つねに中庭まで人があふれ、悠元寮生の黄色い声援は北浦和駅まで届き、時には失神者も出たと伝えられています。いや、少しだけ話が大きくなっている気配もありますが、とにかく、かなりの盛り上がりぶりだったのは確かです。
 以下、当事者の証言を交えたり、目撃者の証言を総合したりしながら、音楽サークル「Am」に属していたバンドの数々をご紹介していきたいと思います。
「Am」という巨大な組織の全貌を明らかにする作業は、まだまだ始まったばかり。さらなる情報、不明点の解明、間違っている部分への容赦のない突っ込みなどお待ちしております。


94年3月Am追いコン94年Am95年3月Am追いコン

左は94年3月に行なわれた追いコンのライブ、真ん中は94年のいつかに行なわれたライブ、右は95年3月に行なわれた追いコンのひとコマ。
いずれも、サイト班ではバンド名がわかっていません(すいません……)。ご存知の方は、ぜひ教えてください。

ファンキーファッカーズ

  • Vo:木田、G:島村、B:内田、D.森本(全87年)
  • オリジナルバンド、ロック研で寮内外に人気があった
  • むつめのMFのトリで、ステージに観客が乗って踊りまくったらステージが崩壊。
    #その年のむつめはタイマーズで体育館の床も抜け、むつめ実委は莫大な借金をこさえた
  • その後「床を抜け」という名曲が生まれた

バンド名不明

  • Vo.七種(87年)、G:長尾(85、6年?)、+?
  • ヘビメタバンド。代表曲はアニメの主題歌のヘビメタ版「キャンディキャンディ」(今思うとアニメタルより先行していた)
  • MCでの「ヘッドバンキング講座」も盛況。七種のヘッドバンキングは、首から上が写真に写らないほど高速。
  • 長尾は「寮内バンド活動の父」と言われていた。

ウッチー・クルー

  • Vo:越川(87)、G:小泉(86)、B:内田(87)、D:塩川(86)
  • レッドウォーリアーズのコピーバンド
  • 90年初頭のAmのトリ

Dummy

  • o:島村(87)、G:小泉(86)、B:内田(87)、D:塩川(86)
  • オリジナル(たぶん、越川や木田が卒業したのでできたバンド)
  • 上のバンドの後のAmのトリ。その後、塩川が卒寮し、3人でアコースティックなDummy Sound Makerになった。

「外留愚愚」あるいは「ガレージ」(本当は漢字)あるいは「カナダからの手紙」

  • Vo:浅井、G:茅野、B:横塚(よいち)、D:福満(全89)
  • 銀蠅、矢沢栄吉のコピー
  • 90年中盤のAmのトリ
  • 衣装は特攻服にサングラス(茅野は半裸)
  • 特別ゲストのキャサリン(91木村)が、ヴィーナスの「キッスは目にして」を歌ったことも

・メンバーだった浅井氏の掲示板の書き込みより転載。

「私はフォークッぽいものと、単純明快なロックが好きでして、当初はBFGA在籍の中塚君と共に、ちょっと前に流行った『ゆず』みたいな活動をしておりました。
 その後、中塚君が思うところあって退寮し、しばらくソロ活動をしておりました。
 大学4年になって、茅野氏・横塚氏からバンドのお誘いがあり、かねてから浅井の要望であったCAROL等のコピーを卒寮までの2年間続けました。衣装は横塚氏と川崎まで仕入れに行きました。悠爆衣装は大塚で仕入れました。悠爆衣装の行方はいずこへ?」

カナダからの手紙feat.キャサリン

バンド名不明

  • 町井(90):ベース、庄司:ギター、プラスVo:吉田、D:高梨(90)
  • レベッカのコピーバンド。「ポインズンマインド~」が一世を風靡

・以下の3組については、91年玉那覇氏からの寄稿の転載

「91入寮の沖縄県出身・玉那覇と申します。いろんな記憶がごちゃ混ぜになっておりますが、とりあえず書いてみました。いくつかのバンドを掛け持ちしていまいしたので、バンドごとに紹介させていただきます」

あきばかずさとちちくりまんぼうず

  • Vo:玉那覇(91)、G:伊藤(91)、B:馬チン藤田(91)→山田(92)、D:福満さん(89)→中野(95)、key:秋葉(91)→木下(91)→佐々木(95)
  • ホーンセクションを持つ、ファンキーおげれつバンド
  • 1991年から1998年まで
  • 朝3-5時の練習では、bass藤田の低テンションに悩まされる。5色のジャケットを揃え、手書きのTシャツを作成。「女の道」のあきば(91)のチャイニーズドレスにメンバーも会場も大爆笑。「目ん玉」「みみだぶ」のギター有道(91)の弾き語りは定番に
  • 私個人(玉那覇)としては、ピアノの天才佐々木(96?)とやった「大きなたまねぎの下で」が忘れられないです。 Amとしては前例がない?ホーンセクションを持っていたバンド(しかしマイクが足りなくて生音だったので、音は聞こえなかったらしい)
  • 「無理だ!」「シンデレラは今日も力いっぱい憂さ晴らしの歌今夜はパーティ」 「青春りっしんべん」「まっくろけ」の4曲ノンストップライブはボーカル殺し!最後はいつも大騒ぎになるので、観客も体力を温存していた(笑)

聖飢魔IIバンド

  • Vo:玉那覇(91)、G:伊藤(91)、B:町井さん(90)、D:中野(95)、Key:若林(95)、バイオリン:林(93)
  • デーモン小暮閣下を崇拝する仮装バンド。顔のメイクを小関さんにお願いした(今となっては非常に貴重な体験でした)
  • 東急ハンズのお得意様。安物ドーランを使ったために、ライブ後は汗でぐちゃぐちゃに。貴重なライブ映像を記録したVHSテープの所在は現在も不明
  • シャウトで脳の毛細血管が破裂ぎみ。本人(玉那覇)が言うのもなんですが、メイクすると結構そっくりだった
  • 「鬼」「満月の夜」「恐怖のレストラン」

十姉妹十姉妹

区委員

  • Vo:玉那覇(91)田丸(91)佐藤(91)、G:多田(91)藤原(91)、B:山田 (92)、D:伊藤(91)、Key:茂木ちゃん(93)
  • 留年メンバーで構成された最強のおフェラロックバンド。音感定まらないメンバーでのコーラス練習は困難を極めた。歌うたびに音程が狂い、きもい状況だった。茂木ちゃんの美しさに惹かれて、ただ茂木ちゃんとふれあいたいためにバンド練習をしていた。バンド内恋愛禁止ではあったが、最初から必要なかった(涙)
  • みんな前に出るのが好きな人種ばっかりだったので、ライブ中はフロントラインの激しい争いがあった。茂木ちゃんのサンタクロースは最高だった(ライブ後衣装の取り合いでけんかに・・・)
  • 「バイシクルレース」では、チャリのリンリンを盗みに行ったこともある(時効ですよね)
  • 女子高学園祭でライブもやったことがある
  • 「ボヘミアンラプソディ」「バイシクルレース」「ドンドンパン」(ロックユー)

●同時期の寮内のライバル
角角club、木村まゆみとその仲間たち、ゲルググ、トイドールズ

角角CLUB

  • 米米CLUBのコピーバンドとして発足
  • 読み方は「カクカククラブ」

・以下は、Voの90年水谷氏の掲示板への書き込みより転載

「皆様お久しぶりです。
 さてAmについてですが、自分がVOしていました『角角CLUB』を紹介します。
 結成時は自分と ギター:庄司君 ベース:町井君 ドラムス:高梨君の4人で立ち上げておりました。ちょうど米米CLUBの全盛期でそのコピーバンドとして始まりました。名前の由来は自分の動きが角角していたから角角CLUBと安易に決めたのを覚えています。
 活動は寮内に限定されていましたが、4年間の活動を通じて色々と楽しい思いをさせていただきました。当時のメンバーの皆さん見てますか~?
 メンバーは最大(悠元寮シュークリームシュ2名を含め)8名まで拡大その節は平山さん、福満さんにはお世話になりました。一番の盛り上がりは『ガッチャマン』だったでしょうか?
 今考えれば8名が深夜2時~4時に寮食堂パーテション裏で時間を合わせ一緒に練習をしていたと思うと、あの頃のエネルギーはすごいの一言ですね。
 でも本当に伝説的だったのは『ファンキーファッカーズ』『ウッチークルー』等の先輩バンドでしょう。このバントとの出会いが自分の寮生活を決めた大きな要因のひとつになっております。
 あまり昔のことを懐かしむと一気に老け込むようで嫌ですが、同じ寮の話を出来る方が大勢居ることを確認できるこの掲示板は良いですねえ。
 今の寮がどんなか知りませんが、もちろんこの掲示板を見る機会があると思います。是非皆さんのご意見も拝見したいと思いますので積極的な書き込みを期待します。
 少し話がそれましたが、Amに最も詳しい方は先輩では小泉さん、島村さんでしょうか? 同期では町井君、庄司君? 後輩では岩本君、藤田君、玉名覇君? 個人的に連絡を取ることが出来ませんが、斎藤君連絡取れますか??」
角角CLUB

93年11月。たぶん寮祭のとき。手に持っているのは、
「東京ベイサイドクラブ」という曲のダンスのための小道具。

中野さん(95-96年会長)からの投稿-PA卓購入の顛末

 現在Amが所有している(はず)PA卓(16チャンネル)は’95-’96会長のワシのミスにより購入することになったと記憶しているっす。
 それまでPA卓は川口あたりからレンタルしてたんですが、わしの手配が遅くて借りれなくなったです。卓がないとライブは出来ないわけで、買うしか方法はないんですが、買うのがまた大変でした。そのころは携帯電話があまり普及していなかったので、携帯電話を持っているメンバーを3班ぐらいにわけて、中古卓購入大作戦をしたですよ。
 昔は寮のTELは学生が交代で交換手(事務室で)をしていたので、作戦本部をその事務室に置いて、都内に散らばった実行班と連絡を取りながら、一番お買い得な卓をお茶の水で発見して購入したように記憶しています。わしの前の会長の金平氏や機材に詳しい庄司氏には大変お世話になったわけです。

 ちなみに、私の代からしばらくは会長交代時にタバスコ入りの酒を一気する悪しき伝統が続きました。

掲示板でのAm関連情報のやりとりより抜粋

「ボクが思い出せる範囲では(既出のものは除く)、浅井さんと中塚さんの弾き語りバンド(菊池桃子?)、玉那覇君や福満さんの爆ヘ~スランプ(表記は忘れました)などが思い出されます。あ、大塩と伊藤がやった『目ん玉って、不思議~』(by爆風スランプ)はAmでしたっけ?」(えいき‘90さん)
「わたしは1回だけ、Amのライブに出演しました。うん、たしかそうだったような気がする(ちがったかな)。。。う~記憶がおぼろげで申し訳ないですが、たしかボーカルは水谷さん。玉那覇せんぱいと一緒にトランペットを吹きました。吹いたのは確かなのですが、それがいつだったか覚えていない……。
 その後、私は寮をでてしまったので、うちの部活(吹奏楽部)のトランペット吹きがかり出されてました」(なかやま@92年さん)
「それは一年の時(92年)の新歓ライブだね。
 水谷さんボーカルで小泉さんや島村さん、内田さんが居たのは覚えてます。『ドミトリーライフ』と『ハローハロー』をやったのは覚えてるんだけど、それ以外はあんまり覚えてないにゃ。ドラムはどなただったんじゃろか?
 ハローハローは僕が歌わせてもらいました。
 玉那覇さんとなかやまちゃんのトランペットもすごくかっこよかったよね。あの時のビデオが上手く作動してなくて撮れてなかったのが今でも残念です。練習のときに謎のステップを編み出した島村さんにあわせて本番で水谷さんと3人で踊っていたらその練習に来ていなくて知らなかった小泉さんがすねたような記憶もあったり(笑)」(HARU(悠元)@’92さん)
「はるかちゃんフォローどうもありがとう。
 それにしてもよく覚えているねぇ。あたしゃ自分が黄色いサンダルはいて半ズボン(ひょー若いねぇ)で吹いたことくらいしか覚えてないっす」(なかやま@92年さん)
「私、一度だけ出演したことがあります。
 玉那覇さんがボーカルの聖飢魔IIのコピーバンド(バンド名は失念)で、アンコールにヴァイオリンを引きました。1曲だけですが。南4の若林君が参加していたことは覚えていますが、他のメンバーは失念しました。ごめんなさい。
 あと、すごく記憶に残っているのは、玉那覇さん、佐藤さんとあと1人(田丸さんだったような気がする)の3人ボーカルでクィーンのコピーをやったバンドです。練習する声が南5あたりから聞こえてきたのを覚えているし、舞台もすばらしかった。
 角角も覚えています。水谷さんの部屋に入寮しましたので。部屋(406)で踊りの練習をしていましたね、渋谷さん」(林’93さん)
「盛り上がりに乗りそびれましたが、私もAmで演奏させてもらってました。角角にも出させてもらったり、玉那覇さんのせいきまつバンドのときには林(!ティーッシュ!!)が『神田川』弾いてました(林~っ 俺を忘れんなよお)。一番長かったのが『美里バンド』でした。↓ボーカルさんです」
「ごぶさたしております。岩本(河野)です」(92年・岩本夫妻)
「わりとみんな、コピーしていたバンドの名前で呼んでいて、ライブごとに名前を変えていたりしていたので、バンド名自体は、よく思い出せません。田丸サンや町井さんの『トイドールズ(海外のパンクバンド・トイドールズのコピー)』、木村さんや藤田さんがいた『バービーボーイズバンド(おもにバービーボーイズのコピー)』、『PSAY’Sとレベッカのバンド(サイズとレベッカのコピー)』などがあったような……」(とある事情通)

・上のやり取りに出てくるバンドの補足説明

○浅井(89)と中塚(89)のバンド
・アコースティックギター2本で、菊池桃子の「もう逢えないかもしれない」をフォーックっぽく歌っていたのが印象的だった。娯楽室での練習の方がうまかった、という説も!?

○大塩(91)と伊藤(91)のバンド
・伊藤のギターにのせて、大塩が爆風スランプの「目ん玉」を歌っていた。「♪目ん玉って、不思議~♪」

○爆へ~スランプ(表記忘却)
・ Vo:玉那覇(91)D:福満(89)あとは……?
・曲(なんだってかな~)に合わせた歌謡劇のようなものが印象的だった。
※聖飢魔IIバンド(納涼祭のときだけ?)とごっちゃになっているところも。こっちにはベースに牧(91?)がいたはず……。

・上の補足説明に対する当時のAmメンバーからのさらなる補足説明

「ばくへー(表記?)はベースが最初は藤田さん(91)だったのですが、後に時々山田ちゃん(92)になってたと思います。ギターは伊藤さん(91)がやっていたような。あんまり自信ないんですけど(笑)。
 それからキーボードの秋葉先輩(91)が『女の道』を歌ったのが印象に残ってます。
『ぺろりと舌出しゃ許される 小娘共が許せない 14や15で生意気に 彼氏がいるのも 許せない♪』ってな歌詞だったかと。
 今思い出してもすごく身につまされる歌詞です。だってこのあと『私はお肌の曲がり角♪』とか続くんだもん。とほほ;
 人気の曲は『シンデレラちからいっぱい憂さ晴らしの歌今夜はパーティ』と『週刊東京少女A』と『青春りっしんべん』だったかな。爆風スランプのコピーバンドで爆風好きのわたしにはたまらないバンドでした」