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1984年4月 入寮 山田

 寮をちゃんと卒業していない者として、大変おこがましいのですが、寮生活で得た物が今の自分を形成しているとつくづく思うので書かさせていただきました。三十代後半になるといろいろと、「あの時あれをしていてよかったな。」とか「あの体験があったから、これができたんだろな。」と感ずることが数多く出てくるようになったからです。

 この年代になると、中間管理職とまでは言いませんが、ある程度の仕事が任されることとなります。それは、学校だけではなく地域であったり、組合関係であったり、中学校体育連盟の組織であったりします。現在、能登半島の付け根にある、羽咋市の邑知中学校に勤務しはじめて5年目となりますが、2年目より学年代表(主任ではない-手当がない)を任されっぱなしで、組合では教育文化部長という役職を任され、中体連では能登地区の専門委員長を任されたのでした。それぞれの仕事は、自分が担当する教科や学級担任としての仕事以外に入って来て、いろいろな役職があるからといって学校の仕事が軽減される訳ではありません。どの仕事も両立(2つどころではなく、3つも4つも平行しなければならない時期もあります。)しなければならないのです。

 2001年の秋に、石川県の教職員が延べ1000人以上集まるという、組合の教育研究集会が羽咋地区で開催されました。立場上わたしが実行委員長となり、会場の手配から運営面での統括を行い無事に終了することができました。昨年は、石川県中学校剣道大会が羽咋市で開催され、この運営主体ともなりました。この時は1学期末であり、かなり厳しかったがなんとか無事に終わることができました。さらに、今年の夏は中学校の北信越大会がまた羽咋で開催され、異動がなければまた自分の担当となります。大きなイベントの他にも、学校祭や運動会、修学旅行、剣道部の練習試合・クラスや学年のレクレーション大会から職場の飲み会の幹事など、週代わりで様々行事の仕事が廻ってくるのです。それぞれの仕事を当たり前のようにこなすのが、一人前の教師となるのですが、案外それが出来ない人(センセイ)も多いのです。そう思った時、蒼玄寮時代に、本当に貴重な体験をさせてもらったな、とつくづく感じるのでした。

 寮では大変恵まれた部屋への配属となり、様々な仕事を体験させてもらいました。仕事はしていませんが、寮祭や新歓、納涼祭などに参加したこともよい体験となっております。特に参考となったのは忘年会やスコーピオ、ディスコ、プロレスやどなたかの披露宴の仕事でした。寮に最後までいなかったので、各種の仕事を統括までしたことはありませんでしたが、準備の段階での組織の作り方や計画の立て方、運営の仕方など大変勉強になっております。忘年会の宣伝で、毎日短い劇をすることや、市長はじめ各著名人への招待状の発送、オープニングでの鏡割り、ネーミングなど常識では考えられないアイディアの宝庫でした。その点、福重さんや千葉さん・馬場さんなど優れた諸先輩方に恵まれ、先輩方の丁寧かつこだわりの仕事ぶりを生で見ることができたのことも、わたしの宝物となっています。さらに、参考となったことは各種イベントだけではありません。仲間の誕生会の準備のための料理、単なる飲み会の運営や買出し、日本酒の選び方など、全てにおいて参考となっております。
 寮では、楽しいことばかりではなく、失敗やこの欄に書けないようなこともありました。でも、若い頃だからできることもあるでしょうし、失敗しても済むことがあります。若い頃があるからこそ、次に生きてきます。若い頃他では味わえないような、貴重な体験を蒼玄寮でさせてもらったことが、本当に幸運だったと思うのです。