世相・事件・流行歌

水道料小口化問題

水道料小口化問題勃発。業務用を家庭用に切り替えるとか何とか、そういう話で、要するに今までちょっと払いすぎていた水道料が安くなった。

自動車サークル・バトルキッズ

北2西中心の自動車サークル。この年に発足し、90年代にかけて活発に活動。自動車に乗ったり自動車を洗ったり自動車を直したり壊したりした。

野郎会

寮歌をはじめ、古き良き寮文化を今に伝え、後世に残すためのサークル。おもな活動内容は、ことあるごとに寮歌を歌うこと。寮歌ブームの詳細は、右の欄を参照。

87年3月 蒼玄寮で初の卒寮式

それまで悠元寮だけで行なわれていた卒寮式が、蒼玄寮でも行なわれた。翌年から、悠元寮と合同の式典になる。

寮内で寮歌ブームが巻き起こる

 蒼玄寮の前身は、旧制浦和高校の「武原寮」。そんな縁で、旧制高校のOBが集まって行なわれている「日本寮歌祭」に、85年に久しぶりに参加。おそらく、以前から招待されていたが、きっかけがなかったというか何というか、謹んで遠慮させてもらっていたと思われる。
 この参加をきっかけに、寮内の一部で寮歌がブームになり、寮歌を始めとする寮の固有文化の保守育成を目的とするサークル「野郎会」が結成された。
 活動の一環として、「日本寮歌祭」だけでなく、旧浦和高校が独自で行なっている「モニュメント祭」にも何度か参加。大先輩たちに、「これからは君たちが時代を切り開いていく番だ!」 などと言われながら肩を叩かれ、照れつつも気を引き締めていた。
 しかし、90年代後半に入って、日本寮歌祭への参加が有料になったことなどをきっかけに、また足が遠のいてしまう。

臨時カレー屋さん出現

 以下は、当事者(首謀者?)の千葉さん(81年入寮)による詳細かつ食欲をそそる報告。

昔話シリーズ その1[’87カレー屋さん営業報告]

 私は当時「しまや」と言われたグループの中では料理は好きな方で、4年生の正月でしたか、大晦日の年越しそばから元旦のお雑煮など、寮食が休みの三が日近辺の食事を、越冬グループ数人分、請け負ったこともありました。
「後期試験」といったら2月だったでしょうか? 1987年のその頃、私は卒論も出し終えて、6年間の大学生活も終了寸前。特にさしせまってすることもありませんでした。料理も催し物も好きな私がウズウズしたのでしょう、2年下で同期卒業予定の合浦君に「後輩たちの試験勉強を応援する意味で、夜食屋さんをやろう」と声をかけたところ、当時317にいて、理学部(?)のマスターを放棄(?)した、私と同期の並木君も加わり、3人で「ガッちゃんチバちゃんナミキくんのカレー屋さん」という店を、後期試験の最中に、娯楽室1に出すことになりました。

 主体はカレー屋さんなのですが、毎日カレーでは飽きるので、豚汁+おにぎりのセットメニューと、カレー+コーヒーのセットメニューを日替りでやろうということになりました。5日~7日間くらいの営業だったような気がします。
 3人ともカレーにはこだわりがありました。並木君はどこからか業務用のフレーク状のカレールーを持ってきて「やっぱ本場のカレーはこれだ!」と言うし、私や合浦君は「煮くずれない、ホクホクした大きなジャガイモ」や「大きなバラ肉」の実現にこだわるし。結局、並木君のルーを使い、ジャガイモとバラ肉はカレー鍋に入れず、別にカレー粉で炒めてホットプレートで保存しておき、盛り付けのときに規定の個数よそう、という方法にしました。
 豚汁セットのおにぎりには、たしか即席の混ぜ物を使用しましたが、結構手数がかかって大変でした。価格はカレーセットも豚汁セットも250円。寮の夕食の価格が参考です。食器洗いは大変ですし、第一、営業用の食器などありませんでしたから、自分で皿やどんぶりやコップを持ってきてもらう方法にしました。

 事務室からの放送が終わりになる21:00の直前になると、「ただ今より、娯楽室1におきまして『ガッちゃんチバちゃんナミキくんのカレー屋さん』を開店いたします。カレーとコーヒーのセットが250円となっております。器をご持参の上、どぞ、ご利用下さい。はーい、ご利用ご利用!『ガッちゃんチバちゃんナミキくんのカレー屋さん』は、あなたの、あ・な・た・の後期試験を応援しております。」という放送が、蒼玄寮・悠元寮に流れました。
「一晩で80食」という数字を憶えているのですが、それが「毎日80食」だったのか、最終日の「最高記録」だったのか、憶えていません。どちらにせよ、当時の寮食堂の出食数に比べても、遜色ありませんでした(田中さん、衛藤さん、ゴメンナサイ)。

 最終日といえば、サービス価格を設定しました。198円です。「100円玉2枚の支払いに対して、1円玉2枚のおつり」を想定し、昼間のうちに小川信金に行って1円玉を大量に両替しておきました。最終日の放送は「本日は謝恩セールといたしまして、当店平常価格250円のところを、198円、198円でご奉仕させていただきます!」というものでしたが、来るわ来るわ…「198円ぴったり」持ってくるお客さんが!
 おかげで用意した1円玉は減るどころか、逆に数倍になっていました。お客さんに聞いたら、ビンなんかに貯めてあった小銭をかき集めてきた人が多かったようです。おかげで最終日の「アガリ(収益)」の計算にも、たいそうな時間がかかりました。テーブル裏面の雀卓の上で、1円玉をチマチマと数えた記憶が残ってます。

 結局、5日間(7日間?)の営業で、約30000円の粗利があがり、3人で10000円づつ山分けしました。
 ちょうどその頃、私の父が胃ガンで倒れたのですが、手持ちの金が無かった私は、このカレー屋さんの「アガリ」で新幹線の切符を買い、病床に駆けつけることができました。おかげさまで父は元気です(当時当店をご利用下さった皆様、改めて御礼を申し上げます)。
 合浦君とは彼の入寮以来、さまざまな局面でずっと親交があったのですが、並木君とは同じブロックというだけで、ブロック討論でたまに話す程度でした。けれどもこの企画のおかげでずいぶんお互いを知ることができ(当時は彼も結構「ワケアリ」の状態でした)、短い期間でしたが親しくなれたように思います。
 今頃どこで、何してんだろうなぁ?
 ……まさか、カレー屋さんじゃないよね!
 
(おしまい)