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93年入寮・元学運 林(南4)

 私は93年4月に入寮し、2000年3月に大学院修了・卒寮するまでの7年間、ずっと寮食堂のお世話になってきました。思い出はたくさんあるのですが、この機会に寮食堂をめぐる歴史の1ページと、ちょっとした裏話を文章にしておきたいと思います。記憶だけで書いているので、もし間違っていたらごめんなさい。

1 学運の担当者として~会計ストックから食費への繰り入れ措置

 93年の6月頃から2期1年間、学寮運営委員をしました。2期目には食堂問題などを担当する班の班長として活動しましたが、この時に衛藤さんから食費のひっ迫した状況について訴えられました。  私が入寮した頃の食堂運営は月~金の昼夜で、食券代は昼食240円、夕食270円だったと記憶しています。ずいぶん前からこの値段のまま据え置かれていたそうですが、93年~94年頃になるとさすがに物価上昇についていけなくなっていました。

 本来なら食券代の値上げで対応するべきなのでしょうが、食券代の値上げにはずいぶん時間と手間がかかります。衛藤さんからは切迫した状況を説明され、「できるだけ早く対応してほしい」と強く訴えられました。そこで、調理員人件費会計か寮食会計のストック(未使用の残高)から1食あたり20円を繰り入れることを、正式な値上げまでの臨時措置として提案することになりました(どちらから繰り入れたかは忘れてしまいました)。学運会議でもおおかたの賛成が得られたため、ブロック討論に提案となりました。

 この時出した資料の詳細はおぼえていませんが、繰り入れ額の説明が「コメ代の不足分15円プラスアルファで20円」という感じになっていたと思います。そのため、ブロック討論で「ストックからの支出はできるだけおさえた方がいい。コメ代がひっ迫しているのなら、コメ代の分15円だけ繰り入れるべきだ」という意見があちこちから出されました。

 これらの意見が、学運内部の空気を変えました。「繰り入れは最小限におさえた方がいい」という意見が支配的になり、繰り入れ額を15円におさえるべきだ、と考える委員が増えました。私は衛藤さんの説明を直接聞いていたこともあり、「20円は単なるコメ代ではない。この程度の繰り入れが必要だ」とあくまで20円案を主張。学運会議でかなり長い時間議論しました。最終的には私以外の全員が15円案に賛成したため、学運として繰り入れ額を15円にすることになりました。私は最後まで納得したわけではなかったのですが、決まった以上はその方向で動くしかありませんでした。もとをただせば、私が作った資料が方向転換を招いたと言えるのですが。当時はかなり悔しい思いをしましたが、今ではいい思い出です。

2 大学院に進学して

 私は97年3月に大学(教育学部)を卒業、そのまま埼大の大学院に進学しました。

 これは何年の話だったかハッキリ覚えていないのですが、衛藤さんに「寮生に配る、食事や栄養のことを説明した小冊子を、パソコンで清書をしてくれないか」と頼まれました。いつもお世話になっていることもあり、引き受けました。ページ数が多くなく、「そんなに時間はかからないだろう」と思ったのですが、作業を始めてみると、表作成や全体のレイアウトなど、予想以上に苦労しました。完成後、お礼だと言うことで衛藤さんにロイヤルホストでごちそうになり、かえって恐縮したのをおぼえています。

 修士課程で2年間のところを、私は3年間かけて卒業しました。大学院時代は親からの仕送りがストップされたので、アルバイトで生活費から学費から国民健康保険税から住民税まで稼ぎだしていました。大学のごく近所で安く生活できた寮、とりわけ安く食べさせていただいた寮食堂の存在がなかったら、大学院での勉強は続けられませんでした。

 田中さん、衛藤さん、調理員のみなさん。本当に、本当にありがとうございました。