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90年度入学 96年度卒業 303号室 元学寮運営委員会 元全寮連
工学部応用科学・環境化学工学科 重国

 田中さん、衛藤さん、厨房のみなさん、本当にありがとうございました。

 もう卒業してから六年が経ちます。まだ、お世話になった七年間よりも短いのですけれど、もう六年です。

 何食食べさせてもらったかと考えると、週平均で昼夕あわせて五食と考えても、七年間で一〇〇〇食を下回ることはないと思います。

 食堂は、食事をつうじての寮生同士の交流の場であり、また、入寮式からはじまり、寮祭、厨房交流会、大忘年会、寮生大会、代議員大会、厚生課の担当者による説明会、そして、卒寮式まで、寮生が集い、寮生活、寮自治会を成り立たせる結節点だったと、いま、しみじみと感じています。

 なにか、かしこまった文章になっているけれど、寮に入らなかったら、寮委員会(学運)をやらなかったら、学生時代に経験できたことはまったく少ないものだったろうし、いまとはまったく違った人生だったかも知れないと考えると、やはり、その寮食堂の偉大さを感じずにはおられません。

 そして、寮食堂を支え続けてこられたみなさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

 私は、いま、日本共産党中央委員会が発行する『議会と自治体』という月刊誌の編集部におります。地方自治体が本当に住民生活を支える役割を発揮するよう、議会関係者、職員、市民のとりくみに資するような情報提供をしていきたいと日々仕事に励んでいます。

 その多くが、新しい勉強の毎日です。寮のなかで経験したこと、考えたこと、寮食堂のみなさんに教えられたことが、さまざまなかたちで自分を支えてくれています。

 一つだけ、書きます。食券を入れる箱の前に「厨房ノート」(?)がありました。寮食や厨房への要望をはじめ自由な書き込みがあって、そこに「どこまでいくのか 暴走列車 重国」というような書き込みがあったことが忘れられません。当時は、学運などをがむしゃらにやっていた時期で、やはりヒトリヨガリだったことも否めません。これは、複雑ですが、いまでもさまざまな場面で登場する寮食堂でのプラスの思い出です。

 これからも、埼玉大学蒼玄寮悠元寮寮食堂でメシを食ったことを誇りにがんばっていきます。本当にありがとうございました。

二〇〇三年二月二十八日