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92年度入寮 元生活部(前期&後期) 元全寮連 岩原

<寮自治一辺倒だった私>

 この投稿の肩書きに「生活部」と記入できることは、私にとって自慢でさえある。生活部の「仕事」は、食券数えも厨房交流会も、はたまた食券販売、食券返却、食券会計報告まで、どれも貴重な経験であった。

 私は生活部2期を含め蒼玄寮委員会に5期も居据わり「ゴッキー」とあだ名され、南1の101号室から106号室まで全ての部屋に移り住み、その後も、5年半で大学を卒業する直前まで全寮連で活動を続け、いわば寮自治一辺倒の人間であった。

 私は、高校生の時から先輩に「寮はいいよ」と聞かされ、寮に入りたくて仕方なかった。そもそも「世間知らずの自分は積極的に社会を経験しなければ…」と思っていた私にとって、寮は高校卒業後に出会う最初の「社会」であった。そんな私は、入寮面接でいきなりの衝撃を受けた。何と、寮生自身が入寮受付をしているのだ。今となっては当り前のことに思えるが、事実上初めて見るその光景に、驚き、「自分もそうした活動に参加したい」と、ワクワクするのを感じた。

<巨大な役割を果たしてきた寮食堂>

 私は、寮食堂はとてつもなく巨大な役割を果たしてきたと思う。田中さん、衛藤さんをはじめとする全ての厨房の方々に、関係者として深く感謝している。

 言うまでも無く寮食堂は、第一に寮生に安価な食事を供給する施設として、同時に、寮生自身による寮の自主的な運営を支える施設として、かけがえの無い役割を果たしてきた。そしてその寮食堂は、他の誰によってでもなく、厨房の皆様は勿論、多くの寮生自身の手によって維持され、運営されてきた。私はこのことは、私たち蒼玄寮・悠元寮の関係者みんなにとって、誇るべき歴史だと思う。

 さて、先輩方には懐かしい言葉かも知れないが、学生寮には教育を受ける権利を保障する福利厚生施設としての役割がある。そして寮食堂はこれを食生活の面から保障するものである。高校を卒業して寮に入りたての頃、私はこのことを「学校の先生」からではなく、寮の先輩方から教えられた。この、初めて教えてくれたのが「寮の先輩であった」という現実は、その後の私にとって、この社会の現実を象徴する重大な出来事となった。

<寮生は学生寮の役割を忘れてはいけない>

 さて、そんな「寮自治一辺倒」の私が書くと矛盾して見えるかも知れないが、私は本来、食券販売の「仕事」も調理員人件費の負担も、寮生に課せられるべきものではないと考えている。ちょっとややこしいが、つまり私は、それらは国や大学が責任を持ち、公的に保証されるべきだと考えている。寮食堂や学生寮の運営に必要な職員を公的に雇い、その機能を十分に発揮させるべきだと考えている。しかし、現実の社会はそうはなっていない。それどころか、実情を無視した機械的な公務員削減・退職後不補充の政策、75年以来の寮食堂を建設しない政策、「受益者」負担の考え方の導入など、学生寮が持つその役割は、どんどんと後退させられている。

 だからこそ私は、歴代の寮生は、こうした現実がありながらも可能な限り学生寮の役割を維持していこうと、営々と努力をし続けてきたのだと思う。寮食堂がその機能を損なわない為の、経費抑制の為の予約制の導入や、それを支える生活部の食券数えのシステム作り、食堂維持の為の調理員さんの寮生雇用化、はたまた、食券返却などの柔軟で細やかな対応までも行ってきた。私はどれも、それが「本来あるべき姿」だとは思わないが、学生寮の役割を維持する為の、極めて尊い行為であると思う。そしてこのように、様々な厳しい現実を乗り越えて、長年にわたって寮食堂を維持し続けてきた寮生の行為は、私たち寮関係者みんなが、誇りに思うべきものだと思う。

 そしてさらに私は、このことは、今後の学生寮にとっても変わらないと思う。一番の当事者である寮生は、学生寮が出来る限りその本来の役割を発揮できるように、努力する必要があると思う。この努力を怠れば、学生寮がその役割を発揮できないような方向へと進んでしまう大きな力が、残念ながらこの世の中には流れている。この現実を、特に現役の寮生は、はっきりと自覚しなければならないと思う。

<議論が出来る恵まれた環境>

 さて、このメッセージ集の編集に携わった「役得(?)」で、失礼ながら、皆様のご投稿を一足先に読ませて頂いたが、読むうちに、どんどんと心が熱くなってきた。

 そして改めて思い出したのだが、私にとって学生寮は、大好きな「議論」ができる場であった。自分の生き方のこと、恋愛のこと、社会の時事問題のこと、寮のあり方のこと…。議題はいつも尽きなかった。そして私の周りには、私がどんなまとまらない問題意識を打ち明けようと、何らかの答えを返してくれる、沢山の方々がいた。議論好きの私にとって、いや、議論しなければ生きていけないような性格の私にとって、これほどの恵まれた環境は無かった。そして、助けられた。

 また、寮自治会の活動を始め、小学生の時、課題の読書感想文で、400字詰め原稿用紙2枚半を埋めるのにあれ程苦しんだ私が、文章の大好きな人間になった。自分の考え方を表現するのだから、本来、これほど面白い作業は無いのだ。寮と寮自治は、それほどまで私を変えてくれた。

 学生寮は、近い年代の近い能力を持つ仲間と、対等な立場で議論し、交流し、主張しあえる空間だ。好きな人も嫌いな人もいる学生寮だが、様々な人々とのそんな経験は、逆にそこに住んだ人間にコミュニティーの形成能力をも与えてくれる気がする。人に迷惑をかけてしまったり、過ちを犯したりした経験は、今でも苦い思い出として残っているが、それすらも、これからに生かすことはできるものだ。

<寮生は学生寮の役割を忘れてはいけない>

 私が生まれた頃の話だが、70年代初頭は、学生寮には最も厳しい国策がとられた時期だった。学生寮の建設に予算が付けられなかったのだ。何故かって?寮生ならば、それは自分で調べて、考えてみて欲しい。そして蒼玄寮・悠元寮は、ちょうどそんな時期に建てられた寮なのだ。関係者には、当時の様子をライブで知る人もおられるだろうが、特に現役の寮生は、長年にわたり私たちに多大な恩恵を与え続けているこの寮が、当り前に存在しているかのように錯覚してはいけない。学生寮は、一部の限られた学生に特権を与える施設ではない。経済基準による入寮選考を経れば、誰でもが入寮できる、学生一般に開かれた公的な役割を果たす大切な施設だ。寮生がその役割への自覚を無くせば、その役割の存続も難しくなるというこの社会の現実を、一番考えなければならないのは、やはりその当事者である寮生自身であると思う。

 蒼玄寮・悠元寮の建て替えの話も、きっと進んでいるはずだ。安い寮は維持できるのか、プライベートの確保とともに、寮生同士のコミュニケーションが取り易い空間は維持されるのか、女子寮には十分な定員が確保されるだろうか、入寮選考はしっかりと経済基準に基づいて行われるだろうか、寮の維持に必要な職員は配置されるだろうか…。考えることは沢山あるはずだ。そして、それを実現するのは、寮生自身であり、寮自治会であると思う。寮自治会への考え方は、私と現役の寮生ではだいぶ違っている筈だが、ならば、現在の寮自治のことは、現在の寮生自身が考え、工夫し、自分たちの感性に基づいて、自ら作らなければならない。私は、現役の寮生の皆さんに、期待している。

<もしも厨房の皆様が…>

 厨房の皆様のことに話を戻したい。想像してみて欲しいことがある。表現は失礼かも知れないが、もしも、田中さんが寮生との交流を好まない、そっけない方だったら、蒼玄寮・悠元寮は、どうなっていただろうか?もしも、衛藤さんが、寮生の健康なんて考えない方だったら、寮食堂はどうなっていただろうか?もしも、調理員の皆さんが、寮のことを理解してくれない方だったら、寮食堂はどうなっていただろうか?

 長年寮に関わってきた関係者ならば、想像は難しくないだろう。寮食堂を中心に、数々の楽しい企画が行われ続けてきたが、これはみんな、寮生と生活をともにし、楽しい場を共有してくれる、理解ある職員の皆様があってのことであったと思う。我らが蒼玄寮・悠元寮が、居住するだけのつまらない寮にはならず、多くの仲間がいるかけがえの無い存在であり続けてきていることには、厨房の皆様の多大な貢献があったことを、私たちは忘れるべきではないと思う。

 何はともあれ、この卒寮式・送別会に向けて、現役の寮生で実行委員会が結成され準備が進んでいることは、私は、今後の寮にとっての光であると思う。寮生には、これからも色々な意味で頑張って欲しいと思う。

 最後になりますが、すべての厨房の皆様、長い間ご苦労様でした。実行委員会の皆様とともに、この冊子を贈らせて頂きます。そして、ご卒寮おめでとうございます。 (2003年3月2日)