世相・事件・流行歌

電話呼び出し事情

当時は、事務室で電話を受け、インターホンで呼び出してもらって、廊下の電話を取る仕組み。99夏に各部屋へ黒電話が引かれるまで、この方式が続く。夜の電話番バイトの伝統も続く。

資本論の会

77年4月結成。資本論を読んだり模擬店を出したりした。

地酒研究会

この年(あるいは76年?)の寮祭で、75年入寮のS氏とI氏が、スコーピオに対抗して店を開いたのが発足のきっかけ。各地の地酒を集め、寮祭はもちろん、折に触れて開催された例会で一升酒を飲み、寮生に日本酒の魅力遠く深さを知らしめた。ただ、べつに会員ではなくても、日々、似たような活動をしている寮生はたくさんいた。

このころの行事

〈この頃に寮で行なわれていた行事〉新歓、寮祭、忘年会、生活部コンパ、ソフトボール大会、芋煮会、悠元寮卒寮式、悠元寮新成人祝賀会、など。

悠元寮生、蒼玄寮のお風呂へ

 77年、もしくは78年ごろ、悠元寮のお風呂が使えなくなり、やむを得ず蒼元寮のお風呂を使うことになった。おそらく、悠元寮生にとって初めての体験。その後、数々のエピソードを生み出していく「時間差混浴伝説」の幕開けである。ただ、この時には、大きな事件があったという記録は残されていない。

「男子がのぞきに来ないように、寮委員会のメンバーでかわりばんこに見張りをしたことは、ほのぼのした思い出です。『のぞきたい』という気持ちはありつつ、悠元寮生に『ありがとう』とお礼を言われてグッとこらえました」(アンケートより)

 そのときに鍛えられた忍耐力は、きっと、その後の人生において、大いに役に立ったに違いない。

 同じころ、蒼玄寮のお風呂が壊れて、一時的に悠元寮のお風呂を借りたという記録も残されている。その時、悠元寮生がのぞかないように見張りが立てられたという記録は、どこにも残っていない。

寮祭救急車事件

11月 寮祭の時、寮生が急性アルコール中毒になり救急車で搬送された。