※現在、メンバー以外にも公開可能な内容のみを表示しています。すべての内容を閲覧するには、パスワードの入力が必要です。(パスワードのヒントはこちらにて)

 


平山 (1988年入寮 南4)

―― いつまでも 在ると思うな  親と金  寮食堂 ――

そう、いつかはこの日が来るのは分かっていました。
この春以降は、寮に立ち寄っても食堂が無い。なんだかとても不思議な感じです。
もう其処は、私の思いの中の寮とは合致しないのでしょう。
校舎が建て変わってしまった私の高校に出向いてもあまり感情が呼び起こされない、
其れと同じ様になるのでしょうか。 残念です。
しかし仕方有りません。私の思い出の為に物事が存在し続ける訳も無く、
例え存在し続けても私の知っている過去とは変わり続けているのですから。
食堂付きの寮で良かった!と一番喜んでいたのは、うちの親でした。
お陰で在学中は「ちゃんと食べてるか?」等という質問は皆無。
(一人暮らしの今の方が、事有る度に食事について聞かれます)
寮祭に遊びに来させた時、水谷の母親と一緒に寮飯を食べて、えらく喜んでいました。
寮食堂の思い出、色々ありました。 有り過ぎて書けません。
最初の出来事は、初めての食事の後。
元気良く挨拶を、と教えられて「ごっそうさ~ん!」。
應援團仕込みの大声で言ったところ諸先輩方から「何様だ」と大目玉。
以後、「ご馳走様でした!」。
現在も会社の生協で、厨房の方に感謝を込めて言って居ります。
思えば、厨房や事務室の皆様は、家庭を飛び出た我々が初めて接する(教員以外の)大人でした。
よくもあんないい加減な半人前のガキ共を相手に、辛抱強く面倒見て頂きまして、有難う御座いました。
厨房交流会では共に酔っ払い、語り合い・・・・初めて大人と呑み明かしたのも厨房の方。
私の、そして私の知る多くの者の人間形成に於いて、寮食堂の存在と厨房の皆様との触れ合いは、
重要かつ不可欠な要素としてこれからも消える事はありません。
寮食堂が無くなってしまう事、其れ自体も残念ですが、
共通の母体を持つ若者はこれから出て来ない、と思うと何だか寂しく感じます。
しかし、そう思うと改めて、私は良い時代に蒼玄寮に居る事が出来て幸運でした。
3月15日の「大」卒寮式は、其の事を確信する賑わいになるでしょう。
あんなに不摂生で酒まみれな日々を送った私が、30代半ばでも元気なのは、やっぱり寮飯?
「お陰で今でも元気っす!」
厨房の皆様もお元気で。
‘03年3月  皆様に育てて頂いた「ガキ」の一人  平山 (’88年入寮 南4)