2017年10月7日、南与野駅から下大久保まで散歩しました。

前回に引き続き、上大久保氷川神社から常楽寺を経て大久保領家に向かいます。

上大久保氷川神社は、昭和40年に現在地(ヤマダ電機の裏)にご遷座する前は、大学構内の土地にありました。

上大久保氷川神社

上大久保氷川神社です。広い境内に鳥居が2つ。

まず門客人社がお出迎え。

大宮氷川神社の摂社にも門客人神社があり、こちらの御祭神は、素戔嗚尊の妻の櫛稲田姫の両親、手摩乳・足摩乳です。こちらも同様でしょう。(もともとは、アラハバキという説もあるようです。)

そして案内板を読むと、もともとは今の埼玉大学の土地にあったものを、大学が今の土地に移転するということで昭和40年にこの場所にご遷座されたということがわかります。

本殿は二間社流造で、大宮氷川神社のものを譲り受けたとのこと。その後本殿の建築について書かれていますが、覆い屋でみられないでしょう。(読んで想像してください、と?)

参考:伊萬太千はやみね:「神社様式

ということで、もともと大学構内にあった神社をお参りすることが最初の目的でした。(寄り道したけどね。)

鳥居の前の幟立て。

年季が入っているようですが、銘を見ると「紀元二千五百三十六年/第五月一日」。ゼロ戦の64年前ということは明治の中頃のものですね。これも大学構内から運んだのでしょう。

扁額は石製、「氷川神社」と書かれています。この鳥居が立てられたのは昭和48年。悠元寮が別所沼のあたりから移転してきた翌年ですね。

朱の鳥居。近いですが、二の鳥居とも。

その横には「奉納桜三株/出雲大社鹿島神社参拝記念/平成二十八年十月吉日。」去年桜が植樹されたようです。

狛犬は平成二年奉納。アスベスト工事のあたりに建てられたようです。

所々が角角していて、いかつい顔です。左、吽形の足元の子犬が苔で大変な感じになっています。

拝殿には新しい扁額と参拝の仕方が掲げられています。

ご祭神は、氷川神社ということで須佐之男命。それと大日霊貴命(天照大神の別名)です。

鎌倉時代には既に創建されていて、五の日は川上の山王社(大久保日枝社)九の日はこの氷川神社で交互に市が立ったとのことです。大学の場所か、さらに鴨川よりかはわかりませんが、鎌倉街道沿いですから、人の往来はあって賑わったのでしょう。

本殿の覆屋です。この中に二間社流造で瓦葺きの本殿があるはず。

拝殿の向かいには、ヤマダ電機(もとダイクマ)の黄色い建物が見えます。

奥の方には社殿移転記念碑が。この字は調神社の宮司さんが書かれたようです。そんな交流もあったようですね。

そして若い内に折れてしまったけど、もう一つの枝を伸ばして育つ木。桜でしょうか。数十年後にどんな幹になるのでしょう。

境内社の稲荷社です。賽銭箱には「一日一日の/始まりは/元気な/挨拶と/明るい笑顔で」。

この稲荷社を回り込むとさらにほっこりするものがありました。

キツネ様の他に仏様、観音様、お地蔵様、布袋様、シーサー、お多福、招き猫にひょっとこ…。

ミニ宗教ワールドが展開されています。もしまた来る機会があれば、こっそり追加したいですね。

帰り際、鳥居の北側の社叢です。もう萎れてしまっていますが、彼岸花がまとまっていました。

昭和40年に移転ということで大木はありませんが、広い境内でこれからの社叢、鎮守の森の形成が楽しみな神社でした。

 

参考:猫の足あと「上大久保氷川神社。さいたま市桜区上大久保の神社

今昔マップ on the web」で見る)

常楽寺へ

一旦ヤマダ電機の横の道(ダイクマ渋滞が起きた道)に出た後、りんごの樹の交差点を目指します。

その途中…

かなりの大きさで威圧感がある武者像が!

見覚えはあるような気がします。しかしじっくりと見た記憶はありません。

葵の御紋の鎧姿なので家康公なんでしょう。手や足の質感はコンクリ像ですが、甲や直垂は別素材でしょうか?ディテールが刻まれています。

後ろに回り込むとその威圧感のしくみがわかりました。前傾姿勢で見下ろすようになっています。そして倒れないよう、背中から鉄骨で建物に固定されています。(着る物屋の。前は人形屋だったかなあ?)

名も知れないですが、なかなかの設計、造形師ですな。

そしてりんごの木の交差点にある、常楽寺の多宝塔です。覗き込むと石碑、石像が段をなして多宝塔を囲んでおり、圧巻です。
これはなんとなく覚えてはいますが、当時は興味なかったですねえ。お墓としか。

常楽寺に入ると、お堂の手前に多宝塔を挟んで庚申様と菩薩像がありました。

交差点の多宝塔を近くで見たく思いましたが、またお墓を騒がすのは気が引けたので交差点に戻り、外から覗くだけにしました。

参考:猫の足あと「常楽寺。さいたま市桜区上大久保にある真言宗智山派寺院

大久保領家へ

ここから埼大正門には向かわず、北西に進みます。

恐らくここが風鈴のあったところ。あるいはこの前後。懐かしのもやし炒め定食。

このセブンイレブンの脇の道を入ります。

普通の家に見えますが、イスラムのモスクです。留学生もお参りするのでしょう。

おおアッラー、あなたの慈悲の扉をわたしに開いて下さい

その向かいは「フラワーパークやすらぎ」。大規模な花屋さんのようです。

ここのあたりから、もとマルエツの「魚悦」の看板が見えます。

さらに進みます。

大学の向かい、さつま(或いはカラオケ屋)やどんラーメンの裏あたりの大久保領家公園です。かなり広くて立派。

今昔マップ on the web」で見る)

土曜日なのでまだ子どもは遊んでいません。女学生さんが一人座っているだけ。

怪しいオッサンは邪魔にならないよう、なるべく離れて休みましょう。

遊具だけでなく、ぶら下がり健康器だったり、座って体位前屈が測れる器械だったり、あと円盤上でバランスをとりましょう的な健康器具がありました。

住宅街ですから、朝夕のランニング、ウォーキングで訪れ、ぶら下がっている人はいることでしょう。

ということで、武蔵浦和駅構内の成城石井で買った「琉球ハブボール」をやりながら一休みです。

この後、大久保の大ケヤキを見に日枝神社に向かいます。

 

大久保の大けやき/日枝神社」につづく。